冬になると、飼っている猫の姿を目にする機会がめっきり少なくなる。それは、彼らがコタツの中に身を隠すからだ。故に、我が家ではコタツのことを「ダメ猫製造機」と呼んでいる。
まだ出してこそいないが、居間のレイアウトはすでにそのモードのために変更されており、1日の平均気温が20℃を下回りでもすればその装置が実践配備されるのは間違いないだろう。
子供の頃に旧家然とした親戚や知人の家を訪ねると、炭を使ったコタツが現役で使われていることがまだまだあった。床に穴を穿ち、火鉢を置き、布団をかけ、練炭などを焚いて暖をとる、いわゆる掘りゴタツである。
そんな炭を使ったコタツでも、その家の飼い猫は寒さを嫌ってその中に入り込んでいた。炭を焚いて布団をかけ密閉した空間で一酸化炭素中毒寸前になって、その猫はそこから出てくる。文字通り、フラフラになってだ。ここまでくるとダメ猫製造機どころか「廃猫製造機」だなあと、その様を見て子どもながら感じたような気がする。
猫といういきものは、暖かい場所でまどろんで眠りにつくものだが、仮に炭ゴタツの中で本当に寝てしまえばそれは即ち死を意味していたんじゃないだろうか。そう考えると、猫はけっして温もりの誘惑に負け死を迎えることがなかったわけで、そうなればちっともダメじゃないじゃんと感心するしかないのだ。
一方、我々人類はどうだろう?と考える。これは例え話なのだが…自分がいる環境に子猫が現れたとしたらどうなるだろう。いや、犬派猫派とか猫嫌いとか猫アレルギーとかうっちゃっておいて、自分は猫派だし猫好きだし猫アレルギーはないから、その日々の成長や愛らしさにハートをマシンガンで射抜かれ通しになっちゃうんですよ。これは理屈じゃなくて、それが人間の子どもでも、犬だろうがなんだろうが絶対そうなんですよ。その一挙手一投足に、きゃわいい~♥となっちゃって、他のことなんて手につかなくなるんです。
そんなわけで、結論。猫こそが「ダメ人間製造機」なんです。
2014年10月21日火曜日
2014年10月12日日曜日
あみぐるみの話①
この1年ほどで懇意にさせていただくようになった方が自転車店を新規に営むと聞いて楽しみにしていたのだが、開店はまだなもののその名刺ができたからとそれを携えて今日になって仕事場を訪ねてくれた。店名を「キティサイクル」にすると聞いていたのに刷り上がった名刺には、例えば「清田輪業」を略したらそうなるだろう「きよりん」といった店名が刷られていた。
この方がなぜ当初はキティサイクルという一見珍妙な店名にするつもりだったかというと、ご当人がハローキティのファンだからという理由に他ならない。1975年に誕生したハローキティをその翌年までに知った彼はその愛らしさに魅了されグッズ収集に明け暮れ、学生だったその当時に友人がサンリオの入社試験を受けると聞き自分もそうするべきかと大いに悩んだという。結局彼は元から志望していた企業に、友人はサンリオにと、それぞれ入社することになるが、その後もお互いにハローキティについてアツく語り合う仲だったそうだ。
先日、twitter上でたまたまリアルなヤモリのあみぐるみを目にして、そのプロポーションの見事さはもちろん編みもので再現された爬虫類の皮膚感の妙なリアルさに圧倒された。
あみぐるみといえば、1995年頃にインターネットを通じて知り合った友人がそれを趣味にしていて、かぎ針で編むそれはその造形のバランスや色づかいの妙などの見事さもあってただの手芸ってレベルを超えたものだと見受けられた。その友人は、当時その世界で一世を風靡していたというある作家のワークショップに参加して、その作家のコピーから始めて自分の作品を生み出していた。まあそんなことを垣間見てたので、なんとなくその世界を知ってたんですよね。
その作品はなかなかハイセンスで愛らしいものだったけど、それを見た自分はなんだかザワザワとしたものを感じたんですよ。でも、そのザワザワがどうしてそうだったのかわからなかったんだな、当時は。
別の友人もあみぐるみの作家で、その作品がどんなものかを書けばこれをご覧の自転車海苔ならそれがどなたかわかるかもしれない方と今日会って話してるうちに、件のヤモリの話になった。さすがはあみぐるみのひと、あーあれはすごい!とすぐに話が噛み合って、それについて大いに盛り上がりましたとさ。
さて、その話がヤモリのあみぐるみの体表表現になると、もちろんその編み目によるウロコ感が爬虫類を見事に描き切っているとお互いに絶賛したわけだが、そこでその友人が気になることを言った。
「自分がつくっているまめのこも、その編み目を見るとどこか爬虫類的で、実はけっこうキモいんだよね」
その言葉を聞いて、あー!それがおれが予てからあみぐるみに感じてたわけわからんザワザワだったんだー!って、20年ほどかかってやっとわかったんです。
思えば…5年ほど前に自転車で行った鹿児島の阿久根のローソンで、その地の特産である海産物の余剰品である貝殻でつくった巨大キティを目にしたことがある。身の丈が平屋建てのローソン店舗の青い軒にゆうに届くサイズのそれは、造形こそオリジナルのキティちゃんを忠実になぞった素晴らしい出来だったが、残念なことにホタテなどの貝殻で構成された外皮がどうしたってウロコにしか見えず、要はかなりキモかったんです。
それはあみぐるみも同じで、どんなにかわいい容姿をしててもその質感がキモかったら全てが…いや、そう感じるのはそういうフィルターを通して見るからで、あみぐるみはかわいいものですよ、きっと。
あみぐるみの話は、次回に続きます。
この方がなぜ当初はキティサイクルという一見珍妙な店名にするつもりだったかというと、ご当人がハローキティのファンだからという理由に他ならない。1975年に誕生したハローキティをその翌年までに知った彼はその愛らしさに魅了されグッズ収集に明け暮れ、学生だったその当時に友人がサンリオの入社試験を受けると聞き自分もそうするべきかと大いに悩んだという。結局彼は元から志望していた企業に、友人はサンリオにと、それぞれ入社することになるが、その後もお互いにハローキティについてアツく語り合う仲だったそうだ。
先日、twitter上でたまたまリアルなヤモリのあみぐるみを目にして、そのプロポーションの見事さはもちろん編みもので再現された爬虫類の皮膚感の妙なリアルさに圧倒された。
あみぐるみといえば、1995年頃にインターネットを通じて知り合った友人がそれを趣味にしていて、かぎ針で編むそれはその造形のバランスや色づかいの妙などの見事さもあってただの手芸ってレベルを超えたものだと見受けられた。その友人は、当時その世界で一世を風靡していたというある作家のワークショップに参加して、その作家のコピーから始めて自分の作品を生み出していた。まあそんなことを垣間見てたので、なんとなくその世界を知ってたんですよね。
その作品はなかなかハイセンスで愛らしいものだったけど、それを見た自分はなんだかザワザワとしたものを感じたんですよ。でも、そのザワザワがどうしてそうだったのかわからなかったんだな、当時は。
別の友人もあみぐるみの作家で、その作品がどんなものかを書けばこれをご覧の自転車海苔ならそれがどなたかわかるかもしれない方と今日会って話してるうちに、件のヤモリの話になった。さすがはあみぐるみのひと、あーあれはすごい!とすぐに話が噛み合って、それについて大いに盛り上がりましたとさ。
さて、その話がヤモリのあみぐるみの体表表現になると、もちろんその編み目によるウロコ感が爬虫類を見事に描き切っているとお互いに絶賛したわけだが、そこでその友人が気になることを言った。
「自分がつくっているまめのこも、その編み目を見るとどこか爬虫類的で、実はけっこうキモいんだよね」
その言葉を聞いて、あー!それがおれが予てからあみぐるみに感じてたわけわからんザワザワだったんだー!って、20年ほどかかってやっとわかったんです。
思えば…5年ほど前に自転車で行った鹿児島の阿久根のローソンで、その地の特産である海産物の余剰品である貝殻でつくった巨大キティを目にしたことがある。身の丈が平屋建てのローソン店舗の青い軒にゆうに届くサイズのそれは、造形こそオリジナルのキティちゃんを忠実になぞった素晴らしい出来だったが、残念なことにホタテなどの貝殻で構成された外皮がどうしたってウロコにしか見えず、要はかなりキモかったんです。
それはあみぐるみも同じで、どんなにかわいい容姿をしててもその質感がキモかったら全てが…いや、そう感じるのはそういうフィルターを通して見るからで、あみぐるみはかわいいものですよ、きっと。
あみぐるみの話は、次回に続きます。
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