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2012年4月30日月曜日

+C Shopからラピュタの道への道順

4月29日に、+C Shopからラピュタの道への試走を行った。
理論的には3時間で着けるはずなのだが、それはある程度足のある者が休まずに行った時の話で、集団で和気藹々と行こうと思えば3時間半の走行時間を見た方がいいと思えた。4箇所ほどの休憩を見込んでいるが、多人数になればなるほどその時間が長くなるので、1回15分、4回で1時間の休憩時間をみた方がいいだろう。

合計所要時間4時間半、12時前にピークに着こうと思えば、余裕を見て+C Shop を7:00に出るのが得策かと。

序盤の市街地走行では、走りやすい道を選んでも信号ストップやトラフィックで存外に時間を取られてしまう。二次集合場所として設定予定の10.7km地点のセブンイレブン熊本石原3丁目店の出発は8:00とするべきだろう。
その後は県道145号を真っすぐ進むが、若干登り基調なので思うほどペースが出ないかもしれない。

26km地点の内牧橋で白川を渡ると県道207号に右折して立野に向かっての坂が始まるのだが、国道57号との合流が工事中で交互通行、信号ストップを強いられる。ただでさえ急坂の途中で、行楽シーズンには車両が多いこの場所だが、これには閉口した。

交互通行をクリアしても、国道57号に出る道はまだ工事中。以前は片側の使用されていないスペースを使って自転車で走行できたのだが、この半年ほどはずっとだめ、やむなく国道57号をアンダーパスするループを使うことになる。



国道57号に出て、阿蘇長陽大橋方面への道に入ろうと横断を試みるがクルマの流れが途切れることがなく断念、少し先のアンダーパスを使うことに。



国道57号をアンダーパスして集落の中を通る裏道をなんとなく進むと、阿蘇長陽大橋へのおなじみの道に出た。

阿蘇長陽大橋で黒川を渡り、栃木温泉近辺を経由して国道325号へ左折。赤橋こと阿蘇大橋へ下りきる手前のセブンイレブン阿蘇九州東海大前店まで34kmほど。ここでトイレ休憩。

東海大学阿蘇校舎正門の手前を右折して、少し登って県道149号を左折、そのまま赤水まで旧道を走る。

赤水交差点で国道57号に行きあたるが、そのまま県道149号を直進する。

県道149号を5kmほど進むと長寿が丘公園入口、つまりラピュタの道登山口に辿り着く。ここまでで45km。このあと、ラピュタの道の登りが5kmちょっと待っている。

2012年4月28日土曜日

ツール・ド・国東まであと1週間

去年2011年のツール・ド・国東は、17:16のゴールだった。一昨年2010年が16:51、そして一昨々年2009年は16:15のゴールだった。そう、呆れたことに、年を経るごとに遅くなっているのだ。


2009年は、サイクルイベントに出るのもなにしろ生まれて初めてで、ロードバイクを再開して5ヶ月ほど、100km超の距離を走ったことなんて数えるほどしかなくて、160kmという未知の距離を走り切れるものかまったく自信がないってのが正直なところだった。
実際、一斉スタートではプロトンに巻き込まれてそれまで経験がなかった40km/hで走ることになって、それでもそれには緊張を上回る快感があって、かなりアドレナリンを上昇させられた。
ところが、いざ上りに入ると…抜かれる抜かれる…いや真剣に自分の自転車は壊れてるんじゃないかと思ったほどだった。
なんとか最初の山間部を抜けて平坦に出て最初のエイドに辿り着き、でもここで長く休んでしまうとだめだ、遅いんだから少しでも前に進まないと走りきれないだろうとすぐにそこを出ようとしたが、一緒に走っていた友人の姿が見えない。結局、長い列ができていたトイレに行っていた彼を25分ほど待つことになってしまった。彼がトイレに行ったことを咎めるつもりはなかったが、ひと言も告げずに姿を消したことがひどく腹立たしかった。
そのあともしばらく山間部の走行が続き、とんでもない坂の連続に気持ちも折れそうになっていた。その辺りからは、朝から腹具合が悪く最初のエイドだけではなくスタート前にもトイレに行っていた友人の方が元気を取り戻したようで、待ってもらうって場面も幾度かあった。それとは別に、自分は目一杯走っているのに、笑って話をしながら流す感じで走っていた男女などを見るにつけ、本当に自分が腹立たしかった。
這々の体で昼食エイドに辿り着くと、呑気に握り飯を食っていた友人に、さっさと食え!と気持ちをぶつけてしまっていた。

後半の海岸沿いの平坦になると、疲れが出たのだろうその彼も遅れ、ほとんどがひとり旅。いや、遅いと思っている自分の後ろに数人の列車ができていた。
そんなこんなで、実のところちっとも楽しくなかった160kmだった。

1年のうちに自転車仲間も増えたし、一斉スタートがなくなったこともあって、和気藹々としたムードでスタートした翌年。
登りで特別速くなったわけではなかったけれど、まあいい自分のペースで進めばゴールはやってくると、そう思って最初の峠を越えた。
峠を越えて下りにさしかかると、友人のひとりがからんだ落車事故が起きていて、自分も停まって誘導を手伝ったりしていて50分もの時間をロス、それでも仲間と一緒だったから、まあ、なんとかなるさと笑って再スタート、結局最初の足切りポイントで時間切れでショートカットさせられることになって、22.3kmほどを労せずして稼いで…いや、走ったわけではないが…やったやったと仲間たちと笑い合う余裕があった。
その後も彼らと共に進むが、40km/h超のトレインに乗りきれない場面もあって、それでも自分のペースで進んでいりゃいいと思っていた。
最後の坂では足が攣るなんて場面もあったものの、それでも一緒に走っていた友人から励まされながら、他の仲間たちに少し遅れて昼食エイドに到着。ここでゆっくり過ごしてから残る70kmほどに向かうが、少し走ると体調を崩してしまって全く前に進めなくなった。
これはもう走れない、ここで休んでいるから先にゴールしてクルマでピックアップしてくれと友人に頼んで先に行かせ、それでも少しは先に進もうとヨロヨロとクランクを回してシークレットエイドに辿り着くと、他の仲間たちも全員そこで待っていてくれた。

彼らの笑顔に励まされて、体調が戻ってきたこともあって、最後には全員で笑ってゴールできた。

去年は、初めて参加する友人をアシストしての走行になった。
三回目の参加で、さすがに登りでかわされることも減ったものの、ピークのたびに遅れた彼女を待ちながら、その彼女が挫けそうになるのを励ましながら走った。そう、前の年に仲間たちから自分がしてもらったことを、この時は返す番だった。
それでも、第2エイドまでは他の仲間たちから大きく遅れることなく進むことができた。
最後の峠も思ったほどのことがなく、胸をなで下ろした彼女だったが、小雨がぱらついてきたことも手伝って、昼食エイドにつく前にはスタミナが切れてきて失速。
仲間たちが食事を終えた頃になってようやく昼食会場に到着、そこで体調を戻すためにゆっくり過ごしてからゴールに向かったが、後半は雨脚が強くなって行く手を遮られた。

黄砂混じりの泥雨に翻弄されなからもゴールしたのは、完走認定時刻を26分も超過してからだった。それでもこの年の国東には、前年のそれとも違う大きな喜びがあった。

さて、今年はどんなことが待っているのだろう。

2012年4月21日土曜日

夏支度…HYGLATER REFLECT CYCLECAPとbiciclista +C CAMO JERSEY MAN 2 (PINK)

今日は夏日になって、上着を着て電車に乗っていると汗ばむほどだった。
そう、サイクルウェアもぼちぼち衣替えの季節になってきたんだ。
昨夏に試してとてもよかったのが、ONYONEのHYGLATER REFLECT ARMCOVER。着けるだけでひんやりして、実際に炎天下で試しても涼しく感じられて、これのお陰で本当に快適なひと夏を過ごすことができた。
今年はそのHYGLATER REFLECTシリーズがアームカバー以外にも展開するってことで期待していたのだが、その先鋒としてサイクルキャップの類が入荷したとメガネ店長に聞いて、早速+Cウェアを訪ねた。

あー、これこれ、アームカバーとまったく同じ素材のサイクルキャップ。
サイクルキャップを使うことのメリットは、汗止めと日差し避け、それに雨避けのへの期待が大きいのだが、綿素材がのそれでは通気性の面でのありがたみが少なくて、秋冬春の3シーズンはともかく、盛夏になるとサイクルジャージと同様の高機能ストレッチ素材を用いたサイクルバンダナを使っていたんだが、いかんせんツバがないバンダナでは日除け等の役に立たなくて(´・ω・`)ショボーンだったんだ。
つーわけで、このHYGLATER REFLECT CYCLECAPにはかなり期待大なのだ。
実際に被ってみると、サイクリングで使ったわけではないが、フィット感、ツバの大きさ等、かなり(・∀・)イイ!!かんじだった。
この日、+Cウェアを訪れた理由は、実はもうひとつあった。
わっk氏とともに、メガネ店長がデザインしたbiciclistaのサイクルジャージのプロトタイプを受け取ってきたんだ。
今年のツール・ド・国東は、これを着て走る。
そう、僕たちの夏が始まる。

2012年4月20日金曜日

ラピュタで会おう2012特設ブログ開設

ラピュタの道に、みんなで自転車で行きたい!
そんな思いだけで、企画した集合サイクリングイベント「ラピュタで会おう2012」の特設ブログを、本日付けで開設しました。
5月20日の正午に、ラピュタの道で会いましょう!



2012年4月19日木曜日

横道ラーメン閉店の知らせ

Facebookのタイムラインに、まったく別の方から相次いで同じ知らせが入ってきて驚いた。

あづねえによる画像

メガネ店長による画像

それは、県道1号を峠の茶を越え、少し下ったオレンジロードの入口の河内町岳にある、金峰山の山懐の隠れた名店・横道ラーメンラーメンの閉店を知らせるものだった。
思えば…金峰山に登りに行くってより、お腹が空いたから自転車で横道ラーメンを食べに行ったってことが多かったのに…実に残念だ。

昨年11月にもひと月ほど店を休んでいて寂しい思いをしたが、再開して喜んでいたのに…おばあちゃんの目の具合がすぐれないとは聞いていたけど…





先月24日のサイクリングの帰りに、13名もの大人数でで押しかけて、けっして広くはない店内を貸切状態にして、ばあちゃんが作ったちゃんぽんを食べたのが最後だった。
Facebookのふたつの書き込みには、閉店を惜しむ声が多く寄せられ続けた。

ラーメン

 ちゃんぽん

ラーメンセット(半チャンラーメンにサラダ)

自転車で立ち寄る先がひとつ消えたって以上に、心にぽっかり穴が開いたように感じた春だった。

2012年4月18日水曜日

サソリの歌が聞こえてくるよ

このところサイクルウェアといえば、メガネ店長の手前もあってかなくてか、biciclista一辺倒になってしまったのだが、元々好きだったのが同じイタリアンブランドのCASTELLIだった。
いや、biciclistaには基本的にジャージしかないから、今でもその他のアイテム…ウインドブレーカーやジャケット、グローブ、ソックスなどは、ほとんどをサソリマークで揃えるようにしている。
最初に買った指切りグローブが上の方に写っているもので、大きなサソリがかわいく、かつかっこよくて、それがサソリストになるきっかけだった。
もちろん、どの商品群も品質が高くて、身につけることが楽しくなるものばかりだ。
このグローブは、汚れ、穴が空き、掌のパットももうせんべい状態で、随分くたびれてしまったけどたまに着けたくなるんだよね。
下に並んだ赤いサソリは、今日届いたばかりのアームウォーマーとレッグウォーマー。
biciclistaと同じくMade in Italyで、こんなものだけど職人の国の心意気を感じることができるんだな。

2012年4月17日火曜日

2012島原のRUN

「ブログを書くまでがサイクリングです!」という言葉をあるブログで目にして、そうか自分の先週末のサイクリングはまだ終わってなかったのかΣ(゚д゚lll)ガーン…と思って、痛い…いや、痛いのは怪我でだった…重い腰を上げて、再びサドルに跨ることにする。

4月15日に2012島原のRUNと題した仲間内のサイクルイベントが催され、それに参加してきた。
島原のRUNは自転車仲間のひとりが企画・運営して、2009年は初回の2月から3月4月と月イチペースで3回、2010年は2月の1回、2011年3月は雨天で中止…島原半島を一周、または半周と雲仙越えといった様々なルートが設定されて行われてきた。熊本からは熊本港からフェリーで島原港に渡ってってことになるが、SNSを通して知り合った参加者は複数の県に散らばっており、皆がそれぞれの方法で集まり、一緒に走ったのだという。
今回の参加者は9名…うち2名が長崎、福岡と鹿児島が各1名づつ、残りの5名の中でも熊本市以外からの者が1名という、これまでと変わらないグローバルな構成になった。

さて、前置きは置いといて、当日の話に入ろう。

前日にナリーくんが来熊したのが22:00。食事して、積もる話も早々に切り上げて、24:00には床に入って、28:45…つまり4:45にセットした目覚ましに起こされて、彼のバイクをクルマから降ろして、8kmほど先のねーさんとの待ち合わせ場所に向けて出発したのが5:20。前日ねーさんに6:00集合だよね?と確認すると、5:45だよ!って念を押されていたので当然そう行動したんだが、ローソンL熊本島町店に着いてみても、その姿はなかった…まあ、すぐきましたが。

8kmほど先の熊本港に向かう。
この道は初めてのナリーくんに、港まではひたすらまっすぐだから目一杯回していいからね♥って言ったら、ご覧の通りダッシュをかましたんだが…この時は長くは続かなかったなあ(´ε`;)ウーン

6:30集合の熊本港に5分前に到着したら、見送りの方も含めて既に皆さんお揃いでした…

早速、輪行の準備。
エンド金具を付けるタイプの輪行袋はちょっと面倒なんだよね、matsuさん。


輪行の準備も終わって、7:00の出港を待つ。
熊本港から島原港までは、高速船の熊本フェリー・オーシャンアローを使うと30分の所要時間だが、生憎と4月9日から20日はそれが定期ドック入りで全便運休ってことで、この日は出港が30分早く所要時間が1時間と倍かかる九商フェリーへの乗船とあいなった。

出港10分前になって乗船案内のアナウンスが流れたので、輪行袋に詰めた自転車を抱えて、ターミナルビル内から連絡通路を経由して乗船する。
フェリーには自転車を含む二輪車の積載が可能だが、そのスペースは限られているし、オーシャンアローが運休の間は利用が集中するだろう、積めなければ\(^o^)/オワタになるから、参加者数が少なくない今回はハナから輪行袋が必須だとしていたのだ。

折角早起きしたのに…残念なことに、このひとは今日も見送り…アリガトンテンチョ!

長い連絡通路を通って、フェリーくまもとに乗船する。
848総トン、全長56.5m、幅13.5m、出力3,400馬力、航海速力14ノット、旅客定員600名で、神田造船所川尻建造のこの平水区域用フェリーは、1996年7月の竣工と船舶としてはまだまだ新しい部類だろう。
1989年2月竣工のフェリーあそも交互に運行されているが、今回は、行きも帰りも同じフェリーくまもとだった。

後部デッキの片隅に、全員の輪行袋をまとめて置く。

金峰山が霞んでいく…
そう、この時間には、すっきりしない空模様だったんだ。

始発の朝早い便だからか、客室はまばらだった。

雲仙岳が眼前に近づいてくる頃には、晴れ間も広がってすっかり明るくなっていた。
実は…このフェリーの乗船中に転倒して腰を強打してしまったんだ…
濡れたデッキをクリートの足下でうろついていたら、両足が同時に滑って、揃えたままの足が宙に高く持ち上がって、受け身もなにもできないままに1mの落差で腰から床に落ちてしまった。あまりの痛さに、転倒したままの姿勢で1分以上悶絶していた。
その強烈な痛さから脊柱から落ちたのかと思ったが、右広背筋の下部に面で当たったようで、素人目にだが骨への影響はないようだった。
ヘルメットを脱いでいた後頭部から落ちなかっただけましだったのだといい方に考えてみたものの、痛みは簡単には去ってはくれない。
あのー…これから100kmほど自転車に乗るんですけどー

8:00に島原外港に着いて、下船。
またもや長い連絡通路を歩かされてコンコースへ降りてターミナルビルの外に出るのだが、傷めた腰で輪行袋に入った自転車を運ぶのは正直言って骨が折れた…打ち身だけで、恐らく骨折はしてないだろうけどw

ターミナルの正面には、この日初めてご一緒するまめまめママとそのご主人のまめまめパパがすでにお待ちかねだった。
彼女は長崎市から車載での参加。うん、この日はまめまめちゃんがナビを務めるサポートカーの伴走があるのだ。

自転車を組み立てて、予定通りの8:20に島原港を出発。
ロードバイクに跨がってみると、幸いなことに大きな痛みを感じなかった。それでも、この日はカメさんチーム入り決定だぬ。

出発したものの、まずはコンビニに寄ろうってことで、すぐ近くのファミリーマート島原港店に移動。
と、その前に、わっk氏がすでにこの付近に到着してるとの情報が…

あっ、いたっ!ファミマのすぐ前にw
長洲港から有明フェリーを使って多比良港へ渡り、そこから15kmほどの距離を自走してきた彼と、無事に合流できた。
ここでまったりと20分もの時間を費やす。まあ…この日のスケジュールには余裕を持たせてあるから平気だろうと。

8:41分になって、あらためて出発。


すぐに緩い登りに入って、フェリーから見えたふたつのアーチ橋の山側の方を越えていく。
この水無大橋は、1990年から始まった普賢岳の火山活動によって翌年1991年に土石流の被害に見舞われた水無川にかかるもので、土石流によって流失した水無橋に代わって1999年に架橋された橋長325mのアーチ橋だ。


食事処…トワ?トク?トリ?

大きな不動像が立つ龍照寺の辺りから始まる本格的な登攀に入ったのが9:09頃。このあと6%ほどの勾配ががしばらく続くが、これぐらいの傾斜ならば余裕を持って登れる。
この国道57号雲仙道路は、島原側からだと交通量も少なく、のんびり登れてとてもいい道だと感じた。


龍照寺から5.5km登って、島原港から12kmほどの俵石展望所に9:42に到着。

まめまめちゃんとまめまめパパがお出迎え。

ここから天草の島々がよく見えるのだが、この日は春霞でなにも見えませぬ…
仁田峠組には休憩なしで登れと伝えていたのに、ここでのんびり過ごしていた者もいて先が思いやられる。

10分ほど休憩して、更にピークを目指して登っていく。

この日は山桜が盛りだった。

待避所では、まめまめパパがデジカメで待ち受ける。

坂がきついってこぼしながら登ってきても、この満面の笑みに楽しさが滲んでるよね。
彼女は、8ヶ月前に女の子を産んだばかりの新米ママ。
産休明けの久々の自転車がこの雲仙道路…
いやあ、すごいと思った…男には到底まねできないことだもん。

勾配がきつくなってくると、ねーさんがひとりで逃げる。
この辺りまでくると、嬉しいことに頭上に青空が拡がってきていた。

ピークの手前のこの辺りがけっこう息が上がる勾配なのだが、この日の彼女は軽い足取りで登り切ってしまった。

10:29にピークに達すると、先行していたmatsu氏が待っていてくれた。
腰の具合はまったく改善していなかったが、とにかくここまで登り終えることができたのだから、これならなんとか生きて帰れそうだと思った。

女子たちが到着を待っていたら、小浜温泉方向から韓国人サイクリスト2名が登ってきたのに遭遇、折角だからと記念撮影することに。
ここが仁田峠循環自動車道路の入口で、他の男どもは10%超の勾配もある険しい道を峠を目指して登っている最中だ。

ピークで5分ほど費やしたあとは、雲仙温泉までの下り。

10:41に、硫黄臭が強烈な雲仙温泉の雲仙地獄に到着。

ここで、うさぎさんチームを待つ。
ここは雲仙地獄の向かいの雲仙お山の情報館入口なのだが、人が誰もこなくて、こうやって待ちぼうけするには最適な場所だった。この画像の手前にはテーブルとベンチも設えられていたけど、この日は暖かく、かつ風が爽やかで、日向にいると実に心地よくて、腰も随分楽になったように感じた。

コ( ´゚д゚)(゚д゚` )ネー
この場所全体が温泉の上にあって、木製の歩道の下は水路になっていて温泉水が流れているのだろうか、木の隙間から湯気が立ち上り、腰掛けていた岩もかなりホットで岩盤浴状態…いやあ、ここはいい場所だったニャ~。

11:23になって、男どもがやっとキタ――(゚∀゚)――!!
当初の予定では、島原港から男の足で仁田峠に登って展望台での休憩してここまで下っても2時間ちょっとだろうと踏んでいたのだが、連中たらどうやら休み休み行ったらしくて、なんと2時間40分もかかりやがって…結局ここで40分ほども費やすことになったわ、プンプン。まあ、いいや、ここでのんびりしたのが気持ちよかったし、ちょうど正午に昼食って段取りになるからさ。

 小浜温泉までのダウンヒルへ向かったのは、11:36。

この下りでは、ねーさんが逃げるのをひとりで追う展開…仁田峠での登りに脚を使った方々は下りでは休みに入ったようで、誰もついてこなかった。ふたりで鬼のようにクランクを回して下ったが、この画像のあとの長い直線で彼女をパス、かなりの水を空けて11:50頃には小浜温泉まで下りきることができた。

続いてわっk氏が到着したが、後続はなかなかこない。
小浜までの坂の途中でデジカメの電池を落としてぎゃふん…まあ、予備を持ってきてたからヘーキだったんだが。

やっと揃って、雲仙市役所小浜総合支所から国道57号を挟んだ向かいのに小浜温泉西鉄バスターミナルビルに向かって渡る。

小浜温泉西鉄バスターミナルビルに到着して、その裏手に駐輪。
バスターミナルビル内真裏のレストラン・ニュー小浜へ。

全員が長崎名物のトルコライスを注文。


手前が大盛り、奥が普通盛り。
けっして遠近法で奥が小さく見えるわけじゃないんだからねっ!
トルコライスは、ピラフ(つーか、あきらかに焼飯だろうなあ( ´ー`)y-~~)の上にカツレツが乗っていて、カレーソースがかかっている。実はこのピラフの下にナポリタンスパゲティが隠れているのだ。


まめまめちゃんは、残念なことにテーブルを食べていましたw

1時間を費やした昼食も済んで、13:04に、さあ再出発。


2kmほど進んだ富津入口で国道57号を離れ、長崎県道201号へ左折。


トンネルを抜けると…



緑のトンネルが待っていた。
雲仙鉄道は、島原鉄道の愛野村駅(現:愛野駅)から雲仙小浜駅(肥前小浜駅)を結んでいた鉄道路線で、1938年に全線が廃止されたあとは、かように長崎県道201号として利用されている。
単線の鉄道から転用された他の道路の例に漏れず、この道も狭隘で、車両の通行が少なく自転車での走行には最適だ。


海岸線に出る。
ここで、まめまめママが遅れたので、心配になってひとり引き返すと、やっぱりチェーン外れで立ち往生していた。すぐに復旧して、前走者を追う。

雲仙鉄道営業当時のホームが今も残る木津ノ浜駅跡で、みんなが待っていてくれた。

眼下には、木津漁港とその周辺の集落が見える。

千々石町を抜けて、千々石海水浴場に出る。

国道57号に一旦行き当たるが、交通量が多く路肩が狭いこの国道の登りを避け、左手前の海岸線の道を選ぶ。この道はわっk氏が以前通った際に利用したもので、彼による愛情あるコース取りに感謝。



国道57号に出て、ここを右折して愛野峠へと折り返す。
わっkルート、スバラシス!


2kmほど坂を登るが、確かにこちらの方が逆方向からのそれよりも道路状況はいいようだ。


何度も「もう止まりそう!」と言いながら、この日の最後の坂をがんばって登る。

14:07に、愛野展望所に到着。

まめまめちゃんとまめまめパパがお出迎え。


ここからは、橘湾が一望できる。
真下に見えるコンクリートの道を、ついさっき左から右に通ってきたんだよ。

ここで、まめまめちゃん一家はライダーチェンジするらしく、TIME RXRS ULTEAMがスタンバっていた。

14:18に、島原港に向かって出発。
帰りのフェリーは16:25の出港で、その30分前までに着くためには、35kmほどの距離を1時間半で走ればいいわけだ。

まめまめパパに、50km/hで牽いてもらう。

まめまめパパは、愛野駅手前で諫早方向に左折していった、40km先の自宅に向けて。

国道251号に入ってから…上の画像のあとに…最後方から遙か彼方の先頭グループを追いかけたのだが…追い風とはいえ単独走がかなりきつくて、追いついた頃にはすっかり脚が終わっていた。

58km地点の ファミリーマート吾妻店で休憩。ここから左に折れてギロチンロードこと諫早湾干拓堤防道路まで足を伸ばす計画もあったが、帰りのフェリーに間に合わすにはちと厳しいだろうってことでパスすることにした。

そのあとは、うんこ先生に牽いてもらってねーさんが快走を見せる。それまでの鬼漕ぎでこの車列についていくのがやっとで、先頭交代できなかった…ごめん…

15:04に69km地点の多比良近くのローソンL国見多比良港に着いて、ここで休憩。
牽きっぱなしだったうんこ先生は息が上がってしまっていたが、牽かれていたねーさんは涼しい顔。


あまりの暑さにパピコをちゅうちゅうしていると、クロスバイクも無事に到着した。

多比良港からフェリーで帰るわっk氏とはここでお別れ。

15:14に島原港を目指して最後のインターバルへ。残りは15kmを切っている。

牽くばかりですっかり足が終わってしまったうんこ先生と違って超元気だったのは、ここまでずっと牽いてもらっていたこのひと。もう、ありえないくらいガンガン先に行っちゃうんだもん。
でね、追いついてきたナリーくんに「女の後ろを走っててどうする!男の子だろ!あんな女なんてぶち抜いてこい!」って発破をかけると、彼の眼の色が変わった。かなり前を走っていた彼女を追っかけていって、ついに抜き去っていったんだ。わはは、やるじゃん。
一方、自分はといえば…腰の爆弾がや~な感じになってきて、上の画像の島原新港辺りまできてどうにか彼女に追いつくことができた…あーあ、やっちまったなあ…

雲仙市街に入ると、信号とトラフィックで思うように走れなくてフランケンシュタイン…じゃない、フラストレーション。

15:50に島原港に到着。

クロスバイクも出港まで25分を残して到着。
さて、自転車と思い出を輪行袋煮詰めて帰りましょう…いえ、家に帰るまでが遠足です!

島原港をあとにする。

ナイスキャッチ!
カモメにかっぱえびせんをあげて楽しんだりしてたら…

金峰山が近づいてきた。
いつもあの山から風景として眺めるだけだった雲仙に、この日は登って逆から金峰山を眺めたんだよね…仁田峠まで登った方々は…

熊本港が近づいても、このひとは飽きずにまだカモメに餌をやっていた。
自分はといえば、自転車に乗っている間はギリギリどうにかなっていた腰がもうだめ…痛みに加えて痺れまで出てきて、それを庇ってるうちに太腿が攣ったりして、踏んだり蹴ったりだった。

1時間の船旅を終え、熊本港に帰着した。

うんこ先生らがイルカがいると騒いでいるのを耳にしたねーさん、まさかこんなところにイルカがいるか、あんたバカァと鼻で笑っていたのだが、実際にその姿を目の当たりにするといちばんはしゃいでました。あ、画像にイルカは写っていませんw
しかし、しっかり痛んできた腰のせいで、自転車が入った輪行袋を担いでフェリーからの連絡通路を歩くのが辛いつらい。
這々の体で下船して、自転車を組むのだが、その作業を行うために身を屈めたりするのがまた辛い…

朝はメガネ店長が見送りにきてくれたけど、帰りはさすがに誰もこないよね~とか話してたら、なんと壱岐のイメージガールの方が前触れもなく現れた。
「まさかいないだろーと思ってきたんだけど、いるんだもん!」って、こっちの方がびっくりだ。
思わぬ展開にその場の誰もの相好が崩れ、自分の腰の痛みもほんの少し和らいだような気がした。

17:30過ぎには着いていたのに、みんな去り難かったのか、熊本港をあとにしたのは18:00だった。

落日を背負って、家路に向かう。
このサイクルイベントのホストをやり遂げた彼女は、自分自身の走りでもこれまで以上のものを発揮して、本当に疲れた様子だった。でも、参加者の誰もが楽しかったと目を輝かすのを見て、実に満足そうだった。
…よかったね、ともちゃん

MTBだからゆっくり行くよ!って言っていた壱岐のイメージガールだが、しっかりロードについてきてたりしてw
いやー、サイクリングは帰るまでが遠足ですなあ。