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2011年6月9日木曜日

文は一行目から書かなくていい…かもしれない

先日、自分の作文術について拙い文章を書いたのだが、Readerを眺めていて気になるエントリーを見つけた。
がそれで、芥川賞作家の藤原智美氏の文章の書き方についての本を熱心に紹介していて、これに興味が湧いた。
  • 書く前にカメラの位置を決める
  • 読み手を具体的な一人に絞って思い浮かべながら書いてみる
  • シナリオライターの「箱書き」という手法
  • 逆接になっていない「~が」を使わない
  • 文章のリズムの作り方は句読点で
  • なぜ「今」ではなく「いま」なのか
  • いかに説明しすぎず説明するかが読者との距離感を決める
  • フィクションは具体的なディテール、ノンフィクションは内面、つまり心のうちが大切
  • 自分の文章を作るのはまずは真似から
  • 締切の2日前に書きあげ、寝かせてから直前にもう一度だけ見直すのが理想
  • 音読した文章を録音して推敲する

上の内藤氏が書きだした内容の一覧を見て、おお、これは自分の作文術に被ってるんじゃないかと思ったわけだ。いや、偉そうですまん。読んでみようかな?

2011年6月8日水曜日

書いてみた…文章スタイルとその実際について

先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて文章を作成する際のスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。
まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。例えばこのエントリーなら文章のスタイルは変化するって話だ。それをど頭に書いておいて、改行せずにその後を一気に書き進めていく。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。こと現代の話をすると、インターネットが文章を伝えるメディアのひとつとして登場して以来、そのスタイルは急激に変化してきたと思う。BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだけど、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。例えばこのエントリーなら文章のスタイルは変化するって話だ。それをど頭に書いておいて、改行せずにその後を一気に書き進めていく。
加えて、このエントリーの冒頭に書いた自身の作文術についての一文も書き加えておいた。
続いて、必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整してみたり。加えて、書き出しの文章に続きを書く。
先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。例えばこのエントリーなら文章のスタイルは変化するって話だ。それをど頭に書いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整してみたり。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。こと現代の話をすると、インターネットが文章を伝えるメディアのひとつとして登場して以来、そのスタイルは急激に変化してきたと思う。BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだけど、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
更に調整していくが、段落は基本的に意味段落のみとする。更に不要な部分を削っていって、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。
文章を伝える手段のひとつとしてインターネットが登場して以来、そのスタイルは急激に変化してきたと思う。BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだが、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものなのだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。それをど頭に書いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整していくが、この時点では段落は基本的に意味段落のみとする。先に段落を生じさせると、文の前後の繋がりが見えないためあえてそうしている。更に不要な部分を削ったり書き足したりして、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。
かなり文章としての体裁を整えてきたが、ここで最初に書いたテーマと、その他の話を繋げるために結びを書く。その他にも細かいところに直しを入れていく。
文章を伝える手段のひとつとしてインターネットが登場して以来、そのスタイルは急速に変化してきたと思う。メール、BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだが、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものなのだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。それをど頭に書いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整していくが、この時点では段落は基本的に意味段落のみとする。先に段落を生じさせると、文の前後の繋がりが見えないためあえてそうしている。更に不要な部分を削ったり書き足したりして、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。段落を入れ替えるなどしながら、話の流れを整えてゆき、最初に書いたテーマと、その他の話を繋げるために結びを書き加えてみたりする。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。
要は、文章のスタイル云々とかどうでもよくて、何を伝えたくて、それをどう伝えるのか…で、もう一歩先をいえば、それを読んだひとがどう感じるかしかないんだと思う。
読みやすさや意味の伝わりやすさを考えながら、もひとつ整理する。そのために形式段落も設け、接続語等を足していく。
文章を伝える手段のひとつとしてインターネットが登場して以来、そのスタイルは急速に変化してきたと思う。
メール、BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんできた。それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものなのだと思う。しかし、これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
さて昨日、文章を書くことについての思いをここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なる文章の書き方について、いい機会なので書き留めておこうと思う。
まずテーマを決めておいて、それについての結論を先に書いてしまう。それをど頭に置いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が文字通り結びになるように調整していくが、この時点では段落は基本的に意味段落のみとする。先に段落を生じさせると、文の前後の繋がりが見えないためあえてそうしている。更に不要な部分を削ったり書き足したりして、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。段落を入れ替えるなどしながら、話の流れを整えてゆき、最初に書いたテーマと、その他の話を繋げるために結びを書き加えてみたりする。そうやってこねくり回して一丁上がり!なわけだ。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然、いや必然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。そう自分自身も、短い間の話であってもそのスタイルをなんども変えてきた。そうしながら自分らしい文章を探してきた…いや、今でも模索している。
要は、文章のスタイル云々とかどうでもよくて、何を伝えたくて、それをどう伝えるのか…で、もう一歩先をいえば、それを読んだひとがどう感じるかしかないんだと思う。 いや、高飛車な文章ですまん。
いやあ、いかにも書くために書いたって文章だな。まあ、段取りながらやったからこんなもんかな。しかし、見事に書きたいことがなくて書いてる感ありありじゃん。 こんなの自分じゃ読みたくないな。あ、普段から全部こうやって書いてるわけじゃねえです。

2011年6月7日火曜日

書くということ…Rupo JW-90シリーズとわたし

子どもの頃には作文ってやつが大嫌いだった。なんでもいいから思ったことを書きなさいとか大人に言われて、そう言われると自分は何にも考えていない様な気がして、もう一文字たりとも書けなかった。日記とか書かされても「今日はなにもありませんでしたまる」とか平気で書くようなそんな子どもだった。仮に何かテーマを与えられても、それについてどう書けばいいのかさっぱり判らず、原稿用紙のマスを埋めるのがひどく苦痛だった。そういえば、夏休みの課題で読書感想文か感想画のどちらかを選択することになっていたのだが、一度足りとも前者を選んだことはなかったな。きっと、最初の文節をどう書きだしていいのかが判らず、そこで止っていたのだと思う。一方、どうでもいい物語を考えたり、くだらないことを想像したり、それをひとに話したりすることは大好きだった。そう、考えたことを紙に書くってことができなかったのだ。これはもうばかなのかもしれんね…マジでそう思っていた。そしてそれは、大人になってからもしばらくは変わらなかった。
それが変わったのは、ワープロを手にするようになってからだった。消しゴムを使って書き直したりしなくてもカット・アンド・ペーストで文章の編集ができるその環境が文章を書くことそのものを大きく変えた。なんでもいいからとにかく書き連ねて、その中から取捨選択して、組み替えて…そういったプロセスの中で自分の考えがまとまってきて、また思ってもいなかったようなことに気づいたりして、そうするうちに、いつしか書きたいテーマが自然と浮かんできて、それについて頭からお尻まで一気に書けるようになっていった。

当時使っていたのは東芝のRupo JW-90シリーズで、まだカラー表示すらできない頃の機種だったが、これがなかなか使い勝手がよかった。今でいうカット・アンド・ペーストに長けていて、漢字変換の効率の高さを謳う他社品に触る度にそれが容易ではないものがあることを知って、つくづくRupoでよかったと思ったものだった。これってワープロ(Word processor)じゃなくてセンプロ(Sentence processor)だよねって思っていた。
つまり、それまでの自分は、書きたいことがなかった訳ではなくて、どう書くのかを知らなかっただけだったんだな。学校教育の問題として文章の書き方を教えることがおざなりだとはよくいわれることだが、文章の書き方なんて人それぞれ違うから、結局、習うんじゃなくて自分で見つけていくしかなんだと思う。とにかく、自分の場合、ワープロと出会ったことで文章を書く喜びを知った。考えてみたら、最初にワープロに触ったのが仕事で、キーボードに向かったその日に30分もののシナリオを一本一晩で書き上げていたんだった。仕事で使うのはもちろん、自分の楽しみとして小説を書いて数少ないひとに読んでもらったりすることも楽しかった。
そのうちにインターネットに触れるようになって、BBSへ書き込んだり、今でいうブログのようなことを始めて毎日欠かさず更新したり、メールで遠く離れたひとと様々なことを語らって、それそのものが楽しかったし、それらを通して文章を書く魅力を更に知ることになった。
もちろん、文章を書くには文章を知らなけりゃならない。それを身につけるためには、人が書いた文章を読むしかない。かつては、常に鞄の中に数冊の本を入れて持ち歩き、例え手ぶらで出かけても電車に乗る前に駅の書店で文庫本や雑誌を買い求めて、それができなければ網棚に残された夕刊紙にすら手を伸ばすほどの本の虫・活字の虫だった。今でこそ読むことにはインターネットの中である程度満たされているから、本を読む機会はぐんと減った…実は老眼で文庫本サイズの文字を読むのが辛いwww…のだが、読みまくった経験が文章について多くを学ばせてくれた。そして、世の中には様々なドラマがあって、それがひとを突き動かすことを知った。
今こうやって書いている文章を自分自身けっして上手いものだとは思わないが、ある程度ひとに読んでもらえるものになっているといいなと思う。なにを言いたいのかというと、作文が嫌いだった子どもは、いつの間にか書くことが大好きになっていたってことだ。
さて、ブログという日記ではけっしてない外に開いた場所でいったい何を発信していくのか。これについては悩み考えること山の如し…いや動かないんじゃなくて多いって意味で…いろいろ逡巡するわけだ。これで判ったのが、なんだ俺、文章書くの好きになったはずなのに、それが嫌いだった子どもの頃に戻ってね?書きたいことが浮かばなくなってね?ってことだ。いや、きっとそれも違う…まず書き出してみろ!話はそれからだ!ってことなんだと思う。さあ、書いてみるか。