理性の力によって作品全体に対し入念に音楽を判断できるひとを「ムジスク(音楽家)」といって、ただ音を歌ったり演奏したりする人を「カントル(歌い手)」といった。 「カンタービレ(歌うように)」の語源だよ「のだめカンタービレ 最終楽章 後編 」より
音楽というものはそもそもその音が鳴っているのをその場所で聴かない限り耳にできないものだった。そもそも、演奏者と聴き手の区別などなく、誰もが歌い、手を叩き足を鳴らして、そのコミュニティの中で歌い継がれていくものだった。楽譜が生まれそれが印刷技術の発達によって人々の手に届くようになって音楽は急速に広まることになる。そして近代の録音機器やラジオの発明と発達によって、国を超え世界のいたる場所で同じ音楽が聴ける現在の環境になった。とはいえ、音楽の本質がその場で音を鳴らしそれを聴くものであることには変りはない。
子供の頃からラジオどころかテレビがあって、チャンネルをひねれば流行歌が流れてくる環境で育ってきた。もちろん、学校などで歌う唱歌や、祖母がひねる小唄などといった流行歌以外の音楽もあったが、基本的に流行歌にまみれて育ったものだった。当時の子どもは唱歌かまんが映画の主題歌でも聴いておけといった感じで、流行歌はすべて大人のものであった。夜の街で男女が出会い別れていくそんなことばかり歌っていて、子供心に大人は面倒くさいなと感じたものだった。成長してくるとビートルズが現れ、イカしたビートにつま先を合わせるようになる。でもそれは英語の歌詞で「塀、柔道!」とか「間健二」とか空耳して歌っていた。かたや、日本ではGSブーム「神様僕は湖にお願いブルーシャトー」みたいな現実感のない歌詞ばかりだった。その後、フォークソングブームがきて岡林が日本語で「今日の〜仕事はつらかった〜あとは〜焼酎をあおるだけ」とか歌っていたが、それにしてもおよそ子どもが歌うような歌じゃなかった、歌ってたけどw
当時の流行歌といえば、アイドル全盛となって、作曲家・筒美京平が台頭し始めた頃から歌詞の内容も少し変化してきた。いや、松本隆が職業作詞家として活躍を始めたからなんですがね。その頃、自分自身は洋楽も聞きつつ、ユーミン、シュガーベイブといった今のJ-POP(笑)の前身であるニューミュージック(禿笑)も聴いていて、「ザクとは違うのだよ!ザクとは!」ってつもりだったけど、いま思えばそれらもバリバリ流行歌じゃん。
とにかく、マスプロダクトされたものってのは全て流行歌だっていいたいわけ。自宅の居間に座ったままで曲が買えて翌日には外に持ち出せるそんな便利な時代だからこそ、そうやって電波や電子に消えてくだけではない、空気を震わせて伝わってくる音楽に出会いたいものだ、なんてな。
あー書きたいことの半分も書けてないけど、今日はもういいやwww
ユーミン、ブレッド&バター、チャー、近藤房の助、ニールセダカ、BBキング、クラプトン・・・10代のころはよく聴いておりました。って漏れ何歳だw
返信削除> まぐろがえるES(チューブラー)さん
返信削除わたしにとっての湘南サウンドは、加山雄三でもなくサザンオールスターズでもなく、ブレバタやマザーグースですよ。
あ、マザーグースが密林にある…ポチッたw