中心になって運営していて2003年当時に30万ものアクセスがあった趣味のサイトを、その趣味そのものが時代の流れで事実上終了してしまったことや自身の環境が変わったことでふいにやめてしまって、Webの表舞台から姿を消して野に下ったのがその年の3月のことだった。そのあとは、桑畑三十郎とでも名乗るつもりが名前さえなくしてしまい、草ぼうぼうの荒地に立つことになった。そこは真偽顛倒、玉石混交のまさにカオスだったが、名無しであるがゆえにいいたいことがいえ、仮に嘘を吐けばそれを見抜かれる、そんな場所だった、そこは。ときに論を戦わせ、ときにアイコラ職人を気取り字消しに明け暮れ、時にネタを書き散らして、それはそれで居心地がよかった。
そののち…2009年8月に現在のブログの前身をはてなダイアリーで開始するまでだから、実に6年の永きに亘ってそうしていたことになる。もちろんひとつの同じ板・スレに留り続けたわけではなく、自分の嗜好や時代の流れが変わるたびに彷徨していた。そして、2006~2008年をピークに、2chそのものからも次第に遠のいていった。
自転車趣味を始めたこともあって、数年前からは当該板への出入りのみは行っていだが、2chそのものの空気も変わってきたと感じることが少なくなく、以前ほどには熱心にはなれなくなった。
昨年春からtwitterに身を投じるが、やってたことは既知の相手とのやりとり…所謂馴れ合いがメインで、それってDMでおkな話で、現在では一時期ほどには熱心ではない。むしろ、吐きたい時に吐き、見ず知らずの相手であってもその発言が気になればReplyやRTするといった、twitterが本来あるべき運用スタイルへとへシフトしたといえよう、個人の感想です。
最近になって、twitterを通してtumblrに足を踏み入れて、そのゆるいコミュニケーションが思いの外心地よく、感じたままにリブログすること、Likesすることを朝夕の楽しみにしている。
tumblrについては、顔も知らぬ素性も知らぬただの一度さえも短い言葉すら交わしたことのない相手と、そこに投稿された内容を気に入ったかどうかを決める…いや、気に入らなくてもそれを表明することは反応しない以外にないのだが…だけのコミュニケーションだ。でも、そのゆるさがとてもいいんだよな、tumblrは。
ゆるいって書いたが、tumblrもフォローの数が増えてくると、ダッシュボードが流れるのが速いはやい、まるで実況スレを追っかけるかのような具合になってくるのだ。いや、投稿が流れていっても本当は困らないんだけど、それでも見落とした中に価値があるものがあったような気がして、ある意味必死になるわけ。
そうやって気に入った投稿を選んでみると、自分がなにを求めているのかを客観的に知れて面白い。例えば、好きな色きらいな色がみなそれぞれにあると思うが、思わぬ色の組み合わせがそれをとても魅力的に見せたり、そこにないはずの色を感じたりすることがあって、どんな色でも場合によっては人の心を突き動かすことがあるんだと、大げさではなく感じるんだ。
その場所その場所に心を動かされることがあって、それはいつか消え、また現れる。それはIPの世界にとどまらず全てのことにおいてそうなんだ。
ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし
twitterの自己紹介文に捩って使っているほど大好きな「方丈記」の冒頭だが、ここ10数年ずっと感じていることを、800年も前に書いた鴨長明…とゆうか、そう感じていた人間ってすごいなと改めて思う。いや、ひとがすることなんてどれだけ時代を経ても変わらないってことなんだな。
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