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2011年6月29日水曜日

南無一病息災…健康がなにより

昨年10/10の夜中から左上肢に激痛が走って、それから11月に頚椎椎間板ヘルニア(第3~第4、第4~第5、第5~第6の3箇所…なんだそれ、7つある骨のうち4っつだめってことじゃん)だと診断されて、モーラステープでミイラみたいになって数カ月を過ごした。それでも、騙し騙しではあったが好きなロードバイクに次第に乗れるようになって、年明けには随分と改善してきた。今では肩こり程度の症状で済んでいて、まあ、南無一病息災、これ以上悪化させることがないように付き合っていくしかないんだと思う。


自分の場合、医学以外をあまり信用していないので、いわゆる民間の治療ってのを受けたことがほとんどないのだが、逆に医者にかからなくて民間治療でなんとかしようと考えるひともいて、考え方はそれぞれだなあと思う。
これまでずっと民間治療だけ受けていたという友人が今日になって専門医を訪ねたのだという。いわゆる四十肩といわれてきたそうだが、専門の医療によってその原因が解き明かされることだろう…結果、四十肩との診断だったそうだ。しかし、診断を受ける前からブロック注射コワスとかいっててクソワロタ。
ヘルニアの具合はともかく、今週に入ってなにやら調子が出なくて、ついに昨夜から鼻水が止まらなくなって、若干の咳も…うん、いわゆる夏風邪です。
普段強がってるんだけど、実はけっこう…いや、かなり弱い人間なんで、体調が悪いとひとに上手くあたれなくて心配させたり哀しい思いをさせたりしちゃうんですよね。いや、申し訳ない。今晩は早めに休んでちゃんと直して笑顔で向かえるようにしなきゃね。さて、もう寝ましょう。

2011年6月26日日曜日

迷い…イラストレーションの製作過程

ちょっとしたイラスト制作を依頼されたので描いているのだが、これがなかなか上手くいかない。普段ここに出してるようなポンチ絵ってわけにはいかないのであれこれ考えているのだが、これがなかなか。参考写真だけをぽんと渡されて、元絵がないところであーでもないこーでもないとカタチにはしてみたのだが、描線をどんなスタイルにするのかとか迷いが多くていかんのだ。
ぜんぜん描きかけなのだが、自分でも客観的に見たかったので、恥を承知で晒してみる。
こうしてみると、見えてくる部分もあり、更に迷う部分も多いなあ。
ちなみにこちらがいっとう最初に描いた大ラフ。実は、こんなところからスタートしているわけです。
さて、どう仕上がるのやら。

2011年6月24日金曜日

CUP NOODLE Soi…と空目しました

小腹が空いたので台所を探したらカップヌードルが出てきた。パッケージにSoiと書いてあったので、そうか大豆かみそ味なのか、そうかそれもいいかと思ってこさえて食べた。食べたらみそ味じゃなかったんでびっくりした。
あーうー、でかい字でSioと書いてあった。なんだ、塩かよ。
どうしてこれがみそ味と思ったかというに、一昔前にファンクの帝王ことJB…ジェームス・ブラウンが「ゲロッパ」ならぬ「ミソッパ」とかくだらんことをいわされていたCMがあってだな…
しかし、SioをSoiに空目するとは、我ながらメガネの度が合ってないんだなと思うわけだ…って、メガネのせいにするほどに字が小さくないことは明らかなわけで…むしろかなりでかいwww
空目に留まらず、見落とし、勘違い、寝落ち…とまあ、歳をとればとるほどいろいろ厄介なことが起こるわけで、その都度禿げしく窘められたりするわけだ。この歳になってまだ叱られるとは、子供の頃には露ほども思わなかったぜ。ううん、窘められて当然でさ、そうしてもらえるだけ幸せなんだけどさ。いや、すごく幸せだ…ありがとう。
いずれにせよ、まだまだ未熟でござる。もっと精進するでござるよ。

2011年6月23日木曜日

「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」アニメ化決定!

なんだそうだ。
いわゆるジェネレーションゼロなもんで、いい歳こいてんだけどファーストガンダムはガッツりリアルタイムです。
しかし、井上瑶さん、塩沢兼人さん、鈴置洋孝さん、と、ガンダム声優の方が少なかず他界されていて寂しい限りだな。うん、セイラさんとマ・クベとブライトさんですよ、ぶったな!親父にもぶたれたこともないのに!
鈴置さんと井上さんはダイターン3も懐かしいな…カムヒア!ダイターン3はいまでもアニソンベスト1ですよ。
井上瑶さんは、お墓を見下ろす芝のニュージャパンスタジオの録音室より下がった控えのソファの隣で、いたずらっぽい目をくりくりさせていたのを今でも思い出す。
あ、思い出すだけです、今日は。

2011年6月22日水曜日

ぬすだよぬす…あの「マイケルジャクソン出世太閤記」をもう一度

沙羅双樹の鐘の音〜♪とか憶えていた歌の歌詞が思い出せなくて、なんだっけと思っていたら、なんてことない、元は平家物語だった。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
って、沙羅双樹の鐘じゃなくて花じゃんorz
ちなみに、沙羅双樹ってのは、お釈迦さまがクシナガラで入滅した時に臥床の四辺にあったという4双8本のサラノキのこと。
あ、思い出せなかった歌はこれ。

すげーなげーから聴かなくてもいいよwww

2011年6月21日火曜日

かもすぞー…iPadのスタンドを購入

我が家の第1世代iPadの充電ができなくなったというので見てみると…Apple iPad 10W USB電源アダプタを直で繋ぐと問題なく通電した。つまりは両者を介していたApple iPad Dock(第1世代)に不具合があるってことらしい。
運用上はケーブルとの直結で問題ないのだが、Dockがないと立てかけて使えなくて不便なのでスタンドを買おうそうしようって話になった。密林で探すと、最も廉価なものだと372円からあって、まあ安いのでも使えりゃそれでいいかと思ったのだが…ところが、たいていのものが、電源アダプタのコネクタを付けて縦に置くとケーブルと机上が干渉するようなのだ。
そこで、コネクタが机上とゴッツンしないものをと探して、結局、サイズのタブレットデバイス用スタンド GRIPPI(VESAマウント対応)にしてみた。
19日にオーダーして翌20日には届いたのだが、これがなかなかの優れものだった。
iPadを付ける前はもやしもん。
かもすぞー!

付けた。あら、素敵。つーか、タブレットデバイス用スタンドとなってはいるが、完全に第1世代iPad専用で、まったくもってアジャスト不要じゃん。
ぐりぐり回るので横にしてみる。ばっちりホールドしているし、iMacのスタンドと違和感なす。
チルトしてみる。
けっこうしっかりした作りだ。
反省してみる。
裏面はこんな風。安っぽさも、重すぐる感もない。
懸念されたケーブルのクリアランスも充分。
372円のものから考えたら破格の出費だったけど、ものを見るととても納得できた。
あーこれ、同じものをスケールダウンしたiPhone 4用が欲しい。

2011年6月20日月曜日

塗り換えられてく終わりのない絵のように

前回も書いたBloggerの新UIについてスクショを晒してくれた奇特な方がいたので紹介したい。
clmemo@aka Blogger Redesigned のスクリーン・ショットがそれである。
要は見た目の変更がほとんどで、機能的には大して変わっていないというわけだ。
いや、この新UIになって変わったことがあった。ユーザーとしてログインすると各エントリーのフッターに鉛筆のアイコンが表示されて、それを押すと編集画面に飛べたのだが、新UIになってからダム板に飛ばされる「Not Found Error 404」になってしまうのだ。これは、フッターのスタイルシートを書き換えたことも影響しているのかもしれないが、書き換えた後もちゃんと機能していて、やっぱり新UIになってからだめになったものだ。これができないと、いちいちダッシュボードを開いて投稿記事の一覧から該当するエントリーを選ぶって手間が生じる。こんなことを手間と思うなかれ…ちゅうか、後から直さなくて済むようにちゃんと書いとけって話なのだな。
それでもやってるのはひとだからさ、あ、あれ入れるの忘れてたとか、やべ、しかばねをしばかねって入力してて芝かねになってるこれはシバかねばとか、そういうことが稀にしょっちゅうあるわけだ。
長く生きてきたつもりでも…いや、だからこそ…何かを置き忘れてきたような気がして、あ、あれ、あれってどうしたっけ?とかって不意に思い出すことが少なくないんだよね。たいていはさ、とるに足らないことなんだけどね、時々とても重要なことを忘れていたことに気づいてさ、はっとすることがあるんだ。でも、そうやってやり残したことは、ブログを修正するみたいに簡単に書き直すことはできないんだよね。でもね、それをね、全く違うカタチででもさ、また新たに描き直していけるような気もするんだよね。

2011年6月18日土曜日

選ばれざる者へのレクイエム…Bloggerの仕様変更は一部のユーザーに供されたもの

少し前にこのブログの設定画面等が刷新されたと書いたのだが、同じサービスを使っている方から自分の方は以前のままだなんだそれはヽ(`Д´)ノプンプンと聞きおかしいなと思っていたのだが、こういうことだったらしい。早速、選抜されずに残念だったねとメールした大人気ない。と思ったら先刻承知だったって。
で、自動保存はできなくなったのか、本当に?確かめてみたら、本当なようだ…だめじゃん。なんか、やっぱりできるみたい。
こんな画面もあったので記念眞紀子

横顔

正面から顔を見ていたいのに、気恥ずかしくてそれができなくて、横顔ばかり見ていた。
いつか声をかけてくれるかしら
あなたの隣りに坐りたい それだけ
きっと邪魔をしないようにするわ
話を聞かせてほしいだけ 一緒に
同じテーブルの端で
横顔 見つめてるの
大きな声であなたが笑ったら
何故か私も楽しくなる 不思議ね

今は違う友達にかこまれて
私を覚えていないのねやっぱり
小さく呟いた さよなら
心に届くかしら
誰も知らない あの時の横顔
昔のあなた見失って 欲しくないの

横顔
作詞・作曲:大貫妙子 


「横顔」大貫妙子さん
ター坊の3rdアルバム「Mignonne」 には、竹内まりやや矢野顕子がカバーし本人も後にセルフカバーした代表曲のひとつ「突然の贈りもの」をはじめとして、「海と少年」や「風のオルガン」、「言い出せなくて」、「あこがれ」といった素敵な歌が詰まっている。その中でも、この横顔は甘酸っぱい記憶を辿らせてくれる大好きな曲だ。

2011年6月16日木曜日

風が吹けばピカピカやねん…諺と映画と映画と漫画

「風が吹けば桶屋が儲かる」とういう諺だが、桶は丸いから風が吹けばコロコロ転がってなくなってしまい仕方なく桶を買い直すので桶屋(^Д^)メシウマかと子どもの時分には思っていたのだが、もちろん違う。
今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。爰(ここ)で箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、是(これ)も元手がなふては埒(らち)明(あか)ず
無跡散人『世間学者気質』より:慣用句辞典より転記
つまり…
大風で土ぼこりが立つ
土ぼこりが目に入って、盲人が増える
盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
三味線に使う猫が必要になり、ネコが殺される
ネコが減ればネズミが増える
ネズミは桶を囓る
桶の需要が増え桶屋が儲かる
ということであるらしい。
一方で…
一部の俗説では、「桶」は「棺桶」の意味で、何らかの理由で死者が増え、棺桶の需要が増えるとも言われる。風で火災が延焼し焼死者が増える、海や山が荒れて遭難者が出るなど、諸説ある。
という説もあるらしい。
とここまでは全て、まるっきりWikipediaからの引用である。
これを読んで思い出すのが黒澤明の「用心棒」だ。
とある宿場町でやくざの二勢力が対立していて、いがみ合うたびに刃傷沙汰となり死者が発生するのだが、そうなると棺桶屋がメシウマって寸法だった。主人公の浪人が居を構える居酒屋の隣が棺桶屋で、人死にが出ると渡辺篤演じる棺桶屋が嬉々として金槌を振るう様が壁越しの音声と効果音のみで表現され、笑いを誘うとともに、ひとの不幸は蜜の味というひとの業がうまく表現されていた。なにしろこの棺桶屋、人死にが起きないと(´・ω・`)ショボーンとするのだから。
これらの話から、いま福島で、そして日本で起きていることを想うのは当然だろう。しかし、ここではその話はしない。
風が吹くといえば、ハリウッド映画「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラが物語の結末で絶望の縁にあって自分を奮い立たせるようにいう「明日は明日の風が吹く」という台詞が印象深い。ところがこれも、日本語訳の妙に過ぎず元は「After all, tomorrow is another day=明日があるさ」であるらしい。原題の「Gone With the Wind」からイメージして勝手に日本語訳をしたのだろうが、英語の諺である「Tomorrow is another day」をうっちゃっておいて見事な和訳をしたものだ。
はるき悦巳の漫画「じゃりン子チエ」で、主人公のチエが離れて暮らす母親とのデートを果たし別れたあと、「明日はまた明日の太陽がピカピカやねん」と自らを奮い立たすために笑う場面がある。その絵の背景が映画館にかかる「風と共に去りぬ」の大看板だった。
手持ちの劇場映画版のDVDからこの場面を抜いてここに出そうかと思ったが、見つからねえorz

2011年6月15日水曜日

手のひらを握りしめ僕をつぶせばいいんだよ…久々に江とクマ

スイーツ大河シエもようやく人気者ムカイリが登場、これでどうにか実質的な本役入りとなって、芝居的な面白みは増す気配なのだが…脚本が脚本だけにねえ。しかし、岸谷五朗の信長は実に残念なわけで…なんとゆうか…うん、野心がありすぎなんだよね。自分なら佐々木蔵之介をキャスティングするかな…だめ?
江に天下人・信長の影を見ていることから、信長は江に頭が上がらないっていまの設定は、それなんて孫悟空と釈迦如来なんだが、実際そんなところからの安易な発想なんだよね、田渕ならさ、秀吉=サルっていう。
信長から引き継いだ強大な力で秀吉は次々に侵略を続け、分不相応な天下統一を目論む。そんな秀吉に江は、お前にいかほどの力があるのか、力があるのならわたしの右の手のひらから逃げ出すことができるだろうと問うた。信長は地の果てまで逃げるが、そのいく手を天にそびえ立つ5本の柱…江の指に阻まれる。
いつまでも 一緒だと
囁いている 君はただ
手のひらに 僕を乗せ
転がしている だけなのさ

Paper Doll 僕等の恋は
まるでおもちゃさ
遊び疲れる時を きっと
君は待ってるんだ

いつだって おんなじさ
愛の本音も 判らない
君はただ 僕の事
ひとり占めして いたいだけ

Paper Doll 僕等の恋は
まるでおもちゃさ
遊び疲れる時を きっと
君は待ってるんだ

もし僕を 本当に
ひとり占めして いたいなら
手のひらを 握りしめ
僕をつぶせば いいんだよ

Paper Doll 僕等の恋は
まるでおもちゃさ
遊び疲れる時を きっと
君は待ってるんだ

いつまでも 一緒だと
囁いている 君はただ
手のひらに 僕を乗せ
転がしている だけなのさ

いつまでも 一緒だと…


PAPER DOLL
作詞・作曲:山下達郎



山下達郎 / Paper Doll

「ちょっと暗い歌になってしまいました。これは、とても、いい歌ですね。なぜかっていうと、これは山下達郎くんの、確か作詞作曲の…はずですよね?山下くん。ですから、あのぉ、よぉく、顕れてるわけですね」
矢野顕子:1982年12月のラジオ番組(FM東京?)の番組中にこの曲を歌ったあとのコメント
山下のギターといえば、SPARKLEの16ビートのミュートカッティングがいの一番に思い浮かぶのだが、カーティス・メイフィールドばりのこの曲の、間奏のワウギターもなかなか痺れさせる。って、山下は1976年当時にはワウペダルを足で操作しながらギターを弾くってことができなくて、ワウエフェクターを通さずに一旦録音しておいて、後から自ら手でワウペダルを操作して音を加工したんだって。なんで自分でプレーできないようなことをやったの?って疑問は、実際の演奏を聴いて判断して欲しい。

ひとはみな自由でいたいと願っている。なのに、社会に縛られ、家庭に縛られ、責任に縛られて生きている。そんな中で、ささやかな自由を求めてその檻から飛び出していく。それでもやっぱり、誰かの手のひらの上に乗っていたいと思っているのかもしれない。

2011年6月14日火曜日

これってフォーリンラブ?…次のブログについて

Bloggerではトップのメニューバーに「次のブログ」というメニューがあって、これを押すと現在見ているブログと類似した内容のブログを見ることができるらしい。らしいと書いたのは、実際に押してみて開いたものが元のブログと類似しているかどうか判断が自分自身なつかないからだ。多分似てないと思うぜんぜん。
今は別のブログが表示されるのだが、このメニューを意識して押してみた当初に表示されたのが週刊たくぼだった。どうやら生きものに囲まれながら送るスローライフについてのブログのようなのだが、主に執筆されているまろ氏の軽妙な文章が愉快で、すぐにマイブログリストにも加えさせていただいた。
このログの中に興味深いものを見つけた。
共同執筆者のhiroさんののだめ」物語の精神分析的考察と題されたエントリーがそれで、自分がのだめカンタービレのマニアであることもあり、たいへん興味深く読ませていただいた。エントリーの大部分は登場人物のひとりヤドヴィガの作品への役割について書かれたもので、二宮ともこの原作マンガをよく読み解いていると感心させられた。
いまではちっとも似てないと思ってる「次のブログ」だが、この時は似ていたわけだ。
ヤドヴィガがのだめの少女性を引き継ぐ役回りだったと結論づけたあと、結びに、こう書かれた部分がある。
ちなみにドラマ/映画の上野樹里は,まるでコミックから抜け出してきたかのように,挙措の隅々まで忠実にのだめを演じているが,一点だけ,猫背&内股歩きというオリジナルな演技を採り入れている.型破りとは言えのだめもヒロインなのだから,これは大きな冒険だ.
おそらく彼女は,女優としての直感でのだめの子供人格指向を見抜き,それを表現したのではないだろうか.
彼女もまた,のだめの内面を生きたのだろう.
なかなか鋭い考察で、感心することしきりである。しかし、上野がのだめを体現するためにやったことで最大のものは、こと肉体表現に限って言えば、脚の開き方を肩幅ほどに大きく取ったことにある。のだめが常に脚を開いているって描写はもちろん原作漫画で二宮が絵として描いていることなのだが、それを上野は首尾一貫して行っているのだ。芝居という肉体表現の中でこれをそうと見る者に意識させずに行うことが存外に困難だってことを僕らは知るべきだと思う
もちろん、上の引用で示されている原作に描かれていないのだめの内面を体現したことの凄みがあってのことなのだが。もちろん原作にすでに描かれていることだから、のだめが脚を開いている理由は原作に求めなければならないだろう。さて、それはなぜか…妊娠した際に骨盤が開いて脚を開くようになるあれ…いや、のだめに母性はないだろう…ないのか、本当に?物語の冒頭で泥酔した千秋を拾ったことの意味は…いや、これの結論は先送りにしよう。
上野がのだめの外見や内面を体現するためにやったことは、癖っ毛を伸ばしておかっぱのストレートヘアを維持したことに始まって数多くあるが、今回それらを一枚の絵にして示してみようと…示すつもりだったが、上手く描けなかったので、あえなくボツorz
 画像は本文とほぼ関係ありません。

むしり取った衣笠じゃねえ、昔取った杵柄…ファビコンを設定したでござるよ

ReaderでBlogger in Draft でブログにファビコンを設定可能にって記事を読んで、おーそーか、Bloggerでもよやっとファビコンの設定がイージーにできるようになったのかーと思って、16×16ドットのアイコンを作って、ちゃんとマスク処理もしてアップロードしたのが昨日の夜だと思いねい。それがさあ、設定した直後はもちろん、24hほど経っても全く反映されねーの…と、思ってたら、今さっきやっと反映されました。┐(´∀`)┌ヤレヤレ
tumblrのファビコンがプロファイル画像のサムネなんで、それと区別するために久々にドット絵描いた…8年ぶりぐらい?…けど、やっぱり楽しいねえ。また描こうかな?www

2011/06/14 9:13 追記…
と思ったら、Windows XP Service Pack 3+Google Chromeでは表示されないでござるよ。
2011/06/14 12:40 追記…
反映されたでござる。

2011年6月13日月曜日

ひみつないしょにしてね指きりしましょ…たまにはテレビネタ、流行歌ネタもいいかなと

昨日、NHK総合テレビジョンの「NHKニュース7」を見ていたら、今住んでいる地元が豪雨でとんでもないことになっていて驚いた。なにしろ15万5千人に避難勧告が出たとかで、それに含まれてなかったからなのか、風雨の激しさは承知していたが全く気にも留めなかった。
そのあと続けて「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」を見ていたら、南米、イグアスの滝滝に生息するオオムジアマツバメのことをやっていた。以前タカの話をした時に、ハヤブサがワシ、タカなどの猛禽類ではなくスズメやツバメに近いと知ったと書いたのだが…
南米、イグアスの滝は落差80m、幅3キロにわたって広がる世界最大の滝です。この滝に向かって小さな鳥が次々に突入します。オオムジアマツバメです。一説では時速170km、水平飛行では世界最速と言われています。天敵を寄せ付けない滝の裏側を子育てやねぐらに利用します。アマツバメはどのように滝を越えるのでしょうか?ハイスピードカメラで撮影すると、水の壁を突き抜ける巧みな飛行術が明らかになりました。最速の鳥が最大の滝に突入するスペクタクル!
といったNHKの煽り文はともかく、番組自体は興味深く拝見し、これによってツバメとハヤブサが近縁だってことを、なるほど感じることができた。
で、その番組の舞台だったイグアスの滝の存在は厨房の時に読んだ奇譚本か何かで初めて知ったんだと思うが、その頃「香港から来た妖精」として知られていたアイドル、アグネス・チャンと…イグアス?アグネス?…うーむ、すっかり空目した。同じく当時、いまでいうメソポタミア文明を当時はチグリス・ユーフラテス文明と教えられたが、それもアグネス・ユーフラテス文明だと思っていたような気がする…いやどうでもいい話だが。
いまやトンデモ活動家としての側面のみになったアグネスの存在は上の与太話以上にどうでもいいのだが、その1972年の日本デビュー曲の「ひなげしの花」は図らずもヒット曲となり、哀しいかないまでも多くの日本国民が知る流行歌のひとつになっている。しかし、個人的には「ひなげしの花」よりも1974年の「ポケットいっぱいの秘密」の方に思い入がある。
なぜならば、岡林信康らと並んで日本語ロックを牽引したバンド、はっぴいえんどのドラマーにして作詞者だった松本隆の商業作品第一号がその曲だったからだ。松本はそののち流行歌の世界で「木綿のハンカチーフ」によって、これまでになかった男女の文通形式での掛け合いをひとりの女子に歌わせるというスタイルを提示し、そののち松田聖子に書いた多くの流行歌のヒットなどもあって、日本を代表する流行歌作家となった。
ちなみに、先日放映されたNHK BSプレミアム「希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」では1976年の第27回NHK紅白歌合戦で太田裕美が歌った「木綿のハンカチーフ」が放送されたが、かの番組の1曲の時間制限内に収めるために物語性が高い歌詞であるにも関わらず4番まである中の3番をすっ飛ばしてその上テンポも速く残念だった。
恋人よ いまも素顔で
くち紅も つけないままか
見間違うような スーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ
いいえ 草にねころぶ
あなたが好きだったの
でも 木枯らしのビル街
からだに気をつけてね
からだに気をつけてね 
木綿のハンカチーフ(3番のみ掲載)
作詞:松本隆
作曲:筒美京平
オイオイ、ここいいとこだろう、これがなきゃ駄目だろう…って、どうでもいいかwww

木綿のハンカチーフ 太田裕美 HIROMI OHTA 1975 PCM(ソフト高音質)
太田裕美といえば、1980年頃に新宿のライブハウスで見かけたことがあるなあ、それこそどうでもいい話だw
閑話休題。「ポケットいっぱいの秘密」が自分にとってエポックだって理由は、アレンジ(共同編曲は笑点の東海林修w)と演奏を担当したのが、松本の引き合いでもあったのか元はっぴいえんどの細野晴臣が主要メンバーだったティン・パン・アレーだったって点だ。
下のソースは、1977年のTIN PAN ALLEYの2作目のアルバム「TIN PAN ALLEY 2」に収録されたある意味セルフカバーなのだが、今聴いてもその音楽センスの高さに瞠目させられるし、なにより細野さんのベースラインが半端なく心地よい。



TIN PAN ALLEY 2 ポケットいっぱいの秘密
ボーカル:マナ
いや、今回話したかったのは、実はこっち。
あの松本隆が、アイドル歌謡曲の歌詞に今で言う「縦読み」を仕込んだことがある。
1974年6月リリース、アグネス・チャンのヒット曲「ポケットいっぱいの秘密」がそれだ... まあ、要するにこういう歌詞があったわけで;

なた 草のうえ
っすり 眠ってた
がお 優しくて
きよって ささやいたの
twitterやtumblrで袖摺り合う仲のE-WA(いーわ)氏のエントリーだが、おちゃめじゃん、松本www

2011年6月12日日曜日

雨音と聴こえてくるもの…RAINY WALK

梅雨入りして雨の日が続いてて、自転車には乗れないし、鬱陶しいし、すっかり引き篭っているわけだ。
窓辺に座って雨音を聴いていると、ある旋律が聴こえてくる。
空をおおうプラチナの雲から
こぼれ落ちて降る雨にただぬれて
歩き始めたならやさしい歌声が
聞こえて来るような天使が見える
ひそやかな雨 足元に戯れて Ah
揺らぎ踊るよ 夜明けの 雨
Rainy walk, Rainy walk
Sliver Rainy walk, Rainy walk

誰も居ない舗道から空に向け
鳥の翼ゆるやかに舞い昇る
立ち止まると時はそのままクリスタル!
何もかも動かず静まり返る
音もなく雨 アスファルト塗り替えて Ah
タブロウのよう 夜明けの雨
Rainy walk, Rainy walk
Sliver Rainy walk, Rainy walk

音もなく雨 アスファルト塗り替えて Ah
タブロウのよう 夜明けの雨
Rainy walk, Rainy walk
Sliver Rainy walk, Rainy walk
タブロウの中に降り続く

RAINY WALK
作詞:吉田美奈子
作曲:山下達郎
烟ってはいるけどどこか透明感がある情景が浮かぶ美奈子の歌詞が素晴らしい。歌詞中にタブローと出てくるが、水彩風に描いた油絵だな、この世界は。
って、この曲が入ったアルバム「MOONGLOW」だが、今現在は手元にない。それでもかつて嫌というほど聴いたこの曲…「誰も居ない舗道から空に向け 鳥の翼ゆるやかに舞い昇る」の辺りのストリングスが宙に舞い誘うような静かな高揚感とか、曲をかけなくてもいつでも胸の中で鳴り響いているんだ。
以下のMP3ソースは某ライブのもので、よってストリングスはねえです。クマオタのおいらが本人だろうと騙されたほどの極めつきに再現性の高いボーカルだが、歌詞を間違えてるのはご愛嬌www


RAINY WALK
20100217 新橋ZZにおける伊藤広規セッションでの演奏

話をひろげたいのだが…

先日、友人と呑んでいて生死観の話になった。なったのだが、あっという間に終わってしまった。なぜならば、お互いのそれがとても似ていることが判ったからだ。こういう話はお互いに考えが似通ってると判ったら、そこから話がひろがらないものだ。
その友人から、ひろえはいつも自信たっぷりで自分から見ているととても痛々しくまた恥ずかしいのだが、お前は不得意なことはないと自分で思っているだろうといわれた。おお、こいつ鋭い!と思ったが、ここでそうだといってしまうと話が続かないので、あるに決まってるだろうばかと返してやった。それは何だと訊かれたので少し考えた振りをして空気嫁ないことかな?と答えると、確かにそうだがそれは心情の話だろう、そうじゃなくて具体的な得手不得手を訊いているんだ!というから、そうだな鉄棒とか不得意だな、逆上がりとかなかなかできなかったもん…と答えると、心配するな俺なんて一回もできたことないからと返された。工エエェェ(´д`)ェェエエ工お前女子だろう、まさかスカート回りとか、足かけ回りもできないとかいわないよな?と尋ねると、できませんがなにか(・∀・)と平然といわれた。子供の頃はどん臭くてさあ、ドッヂボールでもボールを受とめけようとか一切考えずに逃げるだけ逃げて最後に残って集中砲火を浴びるってタイプでって、お前は俺か?…また似てるって話になってしまった…ひろがらないなあ。

2011年6月9日木曜日

それはいつか消え、また現れる…IP遍歴を赤裸々に語るwww

かつて2ちゃんねらーだった頃には、駐在していた板やスレに絶えず張り付いていて、東に新スレ立てば行って2ゲトズザー 三三三三(っ・∀・)っし、西に神降臨待つスレあれば行って職人と化し、南に1,000逝きそうなスレあればカレーに1,000取りし、南に950過ぎても次スレ立たないスレあれば行ってスレ立てし、そういうひとでいやあすみませんでした。
中心になって運営していて2003年当時に30万ものアクセスがあった趣味のサイトを、その趣味そのものが時代の流れで事実上終了してしまったことや自身の環境が変わったことでふいにやめてしまって、Webの表舞台から姿を消して野に下ったのがその年の3月のことだった。そのあとは、桑畑三十郎とでも名乗るつもりが名前さえなくしてしまい、草ぼうぼうの荒地に立つことになった。そこは真偽顛倒、玉石混交のまさにカオスだったが、名無しであるがゆえにいいたいことがいえ、仮に嘘を吐けばそれを見抜かれる、そんな場所だった、そこは。ときに論を戦わせ、ときにアイコラ職人を気取り字消しに明け暮れ、時にネタを書き散らして、それはそれで居心地がよかった。
そののち…2009年8月に現在のブログの前身をはてなダイアリーで開始するまでだから、実に6年の永きに亘ってそうしていたことになる。もちろんひとつの同じ板・スレに留り続けたわけではなく、自分の嗜好や時代の流れが変わるたびに彷徨していた。そして、2006~2008年をピークに、2chそのものからも次第に遠のいていった。
自転車趣味を始めたこともあって、数年前からは当該板への出入りのみは行っていだが、2chそのものの空気も変わってきたと感じることが少なくなく、以前ほどには熱心にはなれなくなった。
昨年春からtwitterに身を投じるが、やってたことは既知の相手とのやりとり…所謂馴れ合いがメインで、それってDMでおkな話で、現在では一時期ほどには熱心ではない。むしろ、吐きたい時に吐き、見ず知らずの相手であってもその発言が気になればReplyやRTするといった、twitterが本来あるべき運用スタイルへとへシフトしたといえよう、個人の感想です。
最近になって、twitterを通してtumblrに足を踏み入れて、そのゆるいコミュニケーションが思いの外心地よく、感じたままにリブログすること、Likesすることを朝夕の楽しみにしている。
tumblrについては、顔も知らぬ素性も知らぬただの一度さえも短い言葉すら交わしたことのない相手と、そこに投稿された内容を気に入ったかどうかを決める…いや、気に入らなくてもそれを表明することは反応しない以外にないのだが…だけのコミュニケーションだ。でも、そのゆるさがとてもいいんだよな、tumblrは。
ゆるいって書いたが、tumblrもフォローの数が増えてくると、ダッシュボードが流れるのが速いはやい、まるで実況スレを追っかけるかのような具合になってくるのだ。いや、投稿が流れていっても本当は困らないんだけど、それでも見落とした中に価値があるものがあったような気がして、ある意味必死になるわけ。
そうやって気に入った投稿を選んでみると、自分がなにを求めているのかを客観的に知れて面白い。例えば、好きな色きらいな色がみなそれぞれにあると思うが、思わぬ色の組み合わせがそれをとても魅力的に見せたり、そこにないはずの色を感じたりすることがあって、どんな色でも場合によっては人の心を突き動かすことがあるんだと、大げさではなく感じるんだ。
その場所その場所に心を動かされることがあって、それはいつか消え、また現れる。それはIPの世界にとどまらず全てのことにおいてそうなんだ。
ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし
twitterの自己紹介文に捩って使っているほど大好きな「方丈記」の冒頭だが、ここ10数年ずっと感じていることを、800年も前に書いた鴨長明…とゆうか、そう感じていた人間ってすごいなと改めて思う。いや、ひとがすることなんてどれだけ時代を経ても変わらないってことなんだな。

文は一行目から書かなくていい…かもしれない

先日、自分の作文術について拙い文章を書いたのだが、Readerを眺めていて気になるエントリーを見つけた。
がそれで、芥川賞作家の藤原智美氏の文章の書き方についての本を熱心に紹介していて、これに興味が湧いた。
  • 書く前にカメラの位置を決める
  • 読み手を具体的な一人に絞って思い浮かべながら書いてみる
  • シナリオライターの「箱書き」という手法
  • 逆接になっていない「~が」を使わない
  • 文章のリズムの作り方は句読点で
  • なぜ「今」ではなく「いま」なのか
  • いかに説明しすぎず説明するかが読者との距離感を決める
  • フィクションは具体的なディテール、ノンフィクションは内面、つまり心のうちが大切
  • 自分の文章を作るのはまずは真似から
  • 締切の2日前に書きあげ、寝かせてから直前にもう一度だけ見直すのが理想
  • 音読した文章を録音して推敲する

上の内藤氏が書きだした内容の一覧を見て、おお、これは自分の作文術に被ってるんじゃないかと思ったわけだ。いや、偉そうですまん。読んでみようかな?

方向を決めるもの…ヘッドパーツと新しいジャージ

自転車はなぜ倒れないのか?
それは、絶えず倒れようとする方へ進んでいるからである。
禅問答のように聞こえるかもしれないが、これは紛れもない事実だ。キャスター角やジャイロ効果があってのものとかいわれることもあるが、それは要素のひとつに過ぎない。走行する自転車が倒れないのは、乗る者によって絶えず行われている左右へのコントロールに支えられて倒れようとするのを絶えず修正しているからだ。たとえ意識していなくても、細かくそれを行うことで倒れたりよろめいたりすることなくまっすぐ走れるのだ。いやむしろ、左右に蛇行するからこそまっすぐ走るのが自転車なんだ。試しに自転車のフロントフォークを完全に固定して乗ってみるといい…まっすぐ走るにしても、クランクを漕ぐ以上まともに乗れないはずだから。
自転車がひとの手腕とインターフェースするのはハンドルバーである。しかし、実際にはヘッドパーツがひとと自転車を繋ぐ上で重要な部分を占めているんじゃないかってのは上に書いた通り。もちろん、フロントフォークやホイール、タイヤといった腕から繋がる全てのパーツが直接触れずともインターフェイスしていることは間違いない。だから自転車は面白い。ちょっとしたパーツの変更や調整の違いでその印象が大きく変わることがあるのだから。実際に、無駄を削った優れたスポーツ自転車に乗ってみると、このことを大きく感じることができる。誰も、見栄や見た目だけを目的に高額な自転車を買うわけじゃないんだ。
インターフェイスといえば、BloggerのUIが変更されて、個人的には使い勝手がよくなった。
Bloggerユーザー以外にはちんぷんかんぷんな話で恐縮なのだが、こんなことでもモチベーションが大きく変わるので、今回の変更は実に好ましい。少し前にこのサービスがダウンして投稿したエントリーが消失するってアクシデントがあったのだが、ああゆうことがあるとモチベーションは逆にガタ落ちしてしまう。その顛末を記事に書こうかとも思ったが、あまりに腹が立ち過ぎ…つうか呆れて…2chの当該スレを引用するだけに留めたってことがあった。まあ、システムの障害で気分が萎えるのは当たり前の話なのだが、UIを含めた見た目が変わるのは、気分が変わって楽しいものだ。
普段着る服も、ここ暫くは茶系統のものが多くて、それらでまとめておけばなにも考えなくていいのでそうしていたのだが、また茶色?煮しめ人間?バカなの氏ぬの?とか散々言われてかなり凹んで、このところモノトーンに差し色って方向にシフトさせつつある。
一方、自転車の時のスタイルは、フレーム色に合わせてモノトーンをメインにと決めていたのだが、先日購入したビブショーツが黒にしたつもりがなんの手違いか股間だけが赤いってゆう恥ずかしいものが届いて恥ずかしい。そのビブショーツを手にして何をしたかといえば、それに合わせるために赤成分が入ったジャージを手配しました、はい間もなく届きます。
丁度隠れているが、ポケット部分には3Tのロゴが…これのお陰で、ハンドルをDEDAにするか3Tにするか、実はかなり悩んだ。うん、自転車のパーツ選びにすら影響するんだよね、こういう流れってのは。とまあ、こうやって、着るものの方向なんてのは何かの都合で変わっていくものなんだって話。
どうでもいいが、このおっさんたち楽しそうだなあwww

2011年6月8日水曜日

書いてみた…文章スタイルとその実際について

先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて文章を作成する際のスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。
まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。例えばこのエントリーなら文章のスタイルは変化するって話だ。それをど頭に書いておいて、改行せずにその後を一気に書き進めていく。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。こと現代の話をすると、インターネットが文章を伝えるメディアのひとつとして登場して以来、そのスタイルは急激に変化してきたと思う。BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだけど、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。例えばこのエントリーなら文章のスタイルは変化するって話だ。それをど頭に書いておいて、改行せずにその後を一気に書き進めていく。
加えて、このエントリーの冒頭に書いた自身の作文術についての一文も書き加えておいた。
続いて、必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整してみたり。加えて、書き出しの文章に続きを書く。
先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。例えばこのエントリーなら文章のスタイルは変化するって話だ。それをど頭に書いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整してみたり。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。こと現代の話をすると、インターネットが文章を伝えるメディアのひとつとして登場して以来、そのスタイルは急激に変化してきたと思う。BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだけど、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
更に調整していくが、段落は基本的に意味段落のみとする。更に不要な部分を削っていって、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。
文章を伝える手段のひとつとしてインターネットが登場して以来、そのスタイルは急激に変化してきたと思う。BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだが、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものなのだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。それをど頭に書いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整していくが、この時点では段落は基本的に意味段落のみとする。先に段落を生じさせると、文の前後の繋がりが見えないためあえてそうしている。更に不要な部分を削ったり書き足したりして、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。
かなり文章としての体裁を整えてきたが、ここで最初に書いたテーマと、その他の話を繋げるために結びを書く。その他にも細かいところに直しを入れていく。
文章を伝える手段のひとつとしてインターネットが登場して以来、そのスタイルは急速に変化してきたと思う。メール、BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんだが、それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものなのだと思う。これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
先日、文章を書くことについてここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なるスタイルについて、いい機会なので書き留めておこうと思う。まず、テーマを決めておいて、その本題についての結論を書いてしまう。それをど頭に書いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が結びになるように調整していくが、この時点では段落は基本的に意味段落のみとする。先に段落を生じさせると、文の前後の繋がりが見えないためあえてそうしている。更に不要な部分を削ったり書き足したりして、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。段落を入れ替えるなどしながら、話の流れを整えてゆき、最初に書いたテーマと、その他の話を繋げるために結びを書き加えてみたりする。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。
要は、文章のスタイル云々とかどうでもよくて、何を伝えたくて、それをどう伝えるのか…で、もう一歩先をいえば、それを読んだひとがどう感じるかしかないんだと思う。
読みやすさや意味の伝わりやすさを考えながら、もひとつ整理する。そのために形式段落も設け、接続語等を足していく。
文章を伝える手段のひとつとしてインターネットが登場して以来、そのスタイルは急速に変化してきたと思う。
メール、BBS、2ch、ブログ、ケータイ小説、SNS、twitterと様々なメディアが登場してきて、それぞれに適した文章スタイルを生んだんできた。それらを見ていて思うのは、改行がやたら増えたなって点。恐らくモニター上での視認性を高めるためとか、見かけ上のリソースを増やそうとかって要求に沿ったものなのだと思う。しかし、これによって、形式段落だらけになって意味段落がなくなってしまったように見える。つまり、文章をどう組み立てて、どう読ませるかって努力を放棄しているんじゃないかと。いやむしろ、伝えたいことなんて何もないから、伝える努力が不要なのかもとかまで穿ってしまう。
さて昨日、文章を書くことについての思いをここに書いたのだが、自分の作文術…いやそんな大げさなものじゃなくて単なる文章の書き方について、いい機会なので書き留めておこうと思う。
まずテーマを決めておいて、それについての結論を先に書いてしまう。それをど頭に置いておいて、その後を一気に書き進めていく。必要に応じて構文を大胆に入れ替えたりしながら、結論が文字通り結びになるように調整していくが、この時点では段落は基本的に意味段落のみとする。先に段落を生じさせると、文の前後の繋がりが見えないためあえてそうしている。更に不要な部分を削ったり書き足したりして、意味がよく通るように整形していく。段落と書いておいて文頭を一文字下げないのは、横書き文化であるWebでのトレンドに従ったもので、自分の場合かなり昔からやっていることだ。段落を入れ替えるなどしながら、話の流れを整えてゆき、最初に書いたテーマと、その他の話を繋げるために結びを書き加えてみたりする。そうやってこねくり回して一丁上がり!なわけだ。
文章のスタイルが時代によって変わっていくことは当然、いや必然だろう。古文までの言及はあえて避けるが、古くからあると思うようなスタイルが、実は比較的近年になって生じたものだと知ることも少なくない。そう自分自身も、短い間の話であってもそのスタイルをなんども変えてきた。そうしながら自分らしい文章を探してきた…いや、今でも模索している。
要は、文章のスタイル云々とかどうでもよくて、何を伝えたくて、それをどう伝えるのか…で、もう一歩先をいえば、それを読んだひとがどう感じるかしかないんだと思う。 いや、高飛車な文章ですまん。
いやあ、いかにも書くために書いたって文章だな。まあ、段取りながらやったからこんなもんかな。しかし、見事に書きたいことがなくて書いてる感ありありじゃん。 こんなの自分じゃ読みたくないな。あ、普段から全部こうやって書いてるわけじゃねえです。

俺たちに明日はない…ボニー抜きクラウド

7月にOSXの最新版がリリースされることなり、OSそのものやらUIのみならず、同時に発表されたiCloudも相まってクラウド環境がかなり変わることが予想される。

クラウドコンピューティングサービスについては、実は自分でもかなりその恩恵を受けている。昨年iMacのHDDが死んだ際にも、諸般の事情でローカルでのバックアップを一切とってなかったにも関わらず、僅か24hほどで、システムはもちろんファイルの大部分まで元の通りに戻すことができて、クラウド神!とマジで感心したわけだ。
かように世の中はますます便利になっていて、いやまあ、いま現在でもiPhone 4があれば大抵のはこと足りるんだよね。それでも自分の場合iPhoneの小さなインターフェースじゃおぼつかなくて、iMacやPCを当然のように駆使してるけど、でもそれは慣れでさ、実のとこどうとでもなるレベルな希ガス。
でね、これらの環境に対してね、遅延すんじゃねーばか!とか、どんだけ重いんだお前は?とか、ちょwwおまwww肝心な時になぜ堕ちるんだーwww氏ね!とかマジで思うわけだ、クラウドどもにはさ。
いや、結局肝心なのは環境じゃなくて、お互いの信頼関係だってことはよく判ってるの。思えばさ、かつては恋人たちが距離を隔ててコミュニケーションを取ろうと思ったらさ、うん、俺らの世代だと、まず電話しかないわけ。公衆電話の電話機の上に目一杯用意して積んだつもりの10円玉の山がどんどん平らになっていくの。って、昔話はどうでもいいや。
そう、我々の世代でもさ、時に困難があってもリアルタイムでコネクションすることは努力次第でいくらでも可能だったんだよね。それが少し前の世代だとその手段が全く変わってくるわけで…我々日本人も気が短くなったのかなあと思ってみたり、思わなかったり。

2011年6月7日火曜日

書くということ…Rupo JW-90シリーズとわたし

子どもの頃には作文ってやつが大嫌いだった。なんでもいいから思ったことを書きなさいとか大人に言われて、そう言われると自分は何にも考えていない様な気がして、もう一文字たりとも書けなかった。日記とか書かされても「今日はなにもありませんでしたまる」とか平気で書くようなそんな子どもだった。仮に何かテーマを与えられても、それについてどう書けばいいのかさっぱり判らず、原稿用紙のマスを埋めるのがひどく苦痛だった。そういえば、夏休みの課題で読書感想文か感想画のどちらかを選択することになっていたのだが、一度足りとも前者を選んだことはなかったな。きっと、最初の文節をどう書きだしていいのかが判らず、そこで止っていたのだと思う。一方、どうでもいい物語を考えたり、くだらないことを想像したり、それをひとに話したりすることは大好きだった。そう、考えたことを紙に書くってことができなかったのだ。これはもうばかなのかもしれんね…マジでそう思っていた。そしてそれは、大人になってからもしばらくは変わらなかった。
それが変わったのは、ワープロを手にするようになってからだった。消しゴムを使って書き直したりしなくてもカット・アンド・ペーストで文章の編集ができるその環境が文章を書くことそのものを大きく変えた。なんでもいいからとにかく書き連ねて、その中から取捨選択して、組み替えて…そういったプロセスの中で自分の考えがまとまってきて、また思ってもいなかったようなことに気づいたりして、そうするうちに、いつしか書きたいテーマが自然と浮かんできて、それについて頭からお尻まで一気に書けるようになっていった。

当時使っていたのは東芝のRupo JW-90シリーズで、まだカラー表示すらできない頃の機種だったが、これがなかなか使い勝手がよかった。今でいうカット・アンド・ペーストに長けていて、漢字変換の効率の高さを謳う他社品に触る度にそれが容易ではないものがあることを知って、つくづくRupoでよかったと思ったものだった。これってワープロ(Word processor)じゃなくてセンプロ(Sentence processor)だよねって思っていた。
つまり、それまでの自分は、書きたいことがなかった訳ではなくて、どう書くのかを知らなかっただけだったんだな。学校教育の問題として文章の書き方を教えることがおざなりだとはよくいわれることだが、文章の書き方なんて人それぞれ違うから、結局、習うんじゃなくて自分で見つけていくしかなんだと思う。とにかく、自分の場合、ワープロと出会ったことで文章を書く喜びを知った。考えてみたら、最初にワープロに触ったのが仕事で、キーボードに向かったその日に30分もののシナリオを一本一晩で書き上げていたんだった。仕事で使うのはもちろん、自分の楽しみとして小説を書いて数少ないひとに読んでもらったりすることも楽しかった。
そのうちにインターネットに触れるようになって、BBSへ書き込んだり、今でいうブログのようなことを始めて毎日欠かさず更新したり、メールで遠く離れたひとと様々なことを語らって、それそのものが楽しかったし、それらを通して文章を書く魅力を更に知ることになった。
もちろん、文章を書くには文章を知らなけりゃならない。それを身につけるためには、人が書いた文章を読むしかない。かつては、常に鞄の中に数冊の本を入れて持ち歩き、例え手ぶらで出かけても電車に乗る前に駅の書店で文庫本や雑誌を買い求めて、それができなければ網棚に残された夕刊紙にすら手を伸ばすほどの本の虫・活字の虫だった。今でこそ読むことにはインターネットの中である程度満たされているから、本を読む機会はぐんと減った…実は老眼で文庫本サイズの文字を読むのが辛いwww…のだが、読みまくった経験が文章について多くを学ばせてくれた。そして、世の中には様々なドラマがあって、それがひとを突き動かすことを知った。
今こうやって書いている文章を自分自身けっして上手いものだとは思わないが、ある程度ひとに読んでもらえるものになっているといいなと思う。なにを言いたいのかというと、作文が嫌いだった子どもは、いつの間にか書くことが大好きになっていたってことだ。
さて、ブログという日記ではけっしてない外に開いた場所でいったい何を発信していくのか。これについては悩み考えること山の如し…いや動かないんじゃなくて多いって意味で…いろいろ逡巡するわけだ。これで判ったのが、なんだ俺、文章書くの好きになったはずなのに、それが嫌いだった子どもの頃に戻ってね?書きたいことが浮かばなくなってね?ってことだ。いや、きっとそれも違う…まず書き出してみろ!話はそれからだ!ってことなんだと思う。さあ、書いてみるか。

2011年6月1日水曜日

走り梅雨

このウィークディの青空がそのまま週末にスライドしたらいいのに。
そんなわけで6月。
つか、肌色ばっかだし…<って、自分でつぶやいてるしwww