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2011年2月10日木曜日

B系にあらず

私が小学校低学年だった頃の筆記用具といえば事務用ならボールペン、学習用なら鉛筆と相場が決まっていた。当時は誰もが鉛筆を持ち鉛筆削りやボンナイフ(安全カミソリナイフ)、肥後守で自ら削って使っていたものだった。
その頃の鉛筆削りは付属のクランプで学習机などに固定してピンチ部を引き出し鉛筆を挿入し挟みクランクを回し使用する手動のものが当たり前だった。携帯用には掌に収まる大きさの小型鉛筆削りがあり当時の子どもの筆入れには、鉛筆、赤鉛筆、消しゴムそれに小型鉛筆削りかボンナイフが必ず収まっていたものだ。肥後守は自分の周りでは不人気で、文具としてはボンナイフを持つ者が多かったように思う。
電動シャープナーについては1967年になって三菱鉛筆がようやくそれを発売していることからもおよそ一般的ではなかったように思う。ちなみに三菱鉛筆は旧財閥系の三菱グループとは全くの無縁であるらしい。更にちなみに米国のロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機F-104スターファイターを三菱重工業がライセンス生産したF-104Jがその独特の形状や生産企業名から「三菱鉛筆」の愛称を持つのはご愛嬌だろう。
大日本文具(現:ぺんてる)がハイポリマー芯を開発したことでシャーペンが現在の形になったのは1962年のことで、それからの数年間はシャーペンは万年筆などと並ぶ高級文具として存在していた。その当時は子どもに鉛筆を削ることを身につけなくなるからとの理由によるシャーペン不要論は起きようがなかったわけだ。
中学年以降になってシャーペンの値段もこなれてきて例えば誕生日のプレゼントなどでそれを買い求めてもらうケースが増え高学年になる頃には誰もが使っていたように思う。それでも鉛筆は共存していたはずでその頃には電動シャープナーも普及し教室の一角に設えられていた様に記憶している。
一方その頃になるとカッターナイフが普及してきてボンナイフは次第に駆逐されていく。それでも、当時のカッターナイフは男子がプラモデルを作るためのマストアイテムであって、女子はそのかわいらしさもあってか中学になってもボンナイフを使う者が多かった様に記憶している。
カッターナイフを使うようになると手の方も思うように動くようになって鉛筆ひとつ削るにもいかに電動シャープナーで削った状態に近づけるかと血道を上げていたそんなアホな子どもだった。お陰で今でも鉛筆を削るのは得意で短時間で電動シャープナー並のクオリティに仕上げることができる。
上は友人の子どもに鉛筆の削り方を教えようと思って1分もかけずに削ったもの。
鉛筆デッサンの場合にはもっと極端に芯を露出させる場合が少なくなく木の地肌が露出した部分にもっと角度をつけて芯を露出させ芯と地肌を1:1ぐらいにして使うことが多い。
この鉛筆は三菱鉛筆のuniで硬さはHBだ。uniは鉛筆画の画材としてはかなりの高級品である。以前日に何本も鉛筆を消費するようなことをしていた頃にはこの下のクラスのユニ・スターを使っていたこともある。まあ慣れてしまえばその差は小さいものなのだ。しかしいいものを使えば使っただけ紙から返ってくるものが大きいことは間違いない。この上のハイユニもあるがそれは今現在のDURA-ACEとULTEGRAに価格以上の性能差があるかといえばどうだろうって話によく似ているな。そりゃ105はちょっともたつくけど使い方次第で使えなくはないってつまりはそういう話だ。
以前はBか2Bを好んだのだが長年使ううちにもっぱらこのHBになってしまった。もちろん今や紙の上で鉛筆画や透明水彩画をフィニッシュさせることがなくなったから鉛筆の濃淡を必要しないという側面が大きい。実のところは軟らかくて減りやすく紙や手も汚れがちでコントロールしにくいB系に疲れたのではなかっただろうか。
尤もこれから絵を始めようっていう子どもが使うのなら軟らかいBを選んでおくに越したことはない。

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